FC2ブログ

参戦オランダは1週間で降伏、彼らの恨みは植民地を失ったこと

 話を75年前に遡らせてみます。1941年12月、日本は「米英に宣戦布告」をしました。長くなるので詳しい説明は避けますが、日本の開戦を「こんな状況に置かれたら、(弱小国の)モナコでもルクセンブルグでも、矛(ほこ)を取って立ち上がっただろう」(趣意)と言った、極東軍事裁判の裁判官・パール博士の言葉で想像していただきたい。日本はやむを得ず「米英」に対して戦端を開いたのです。

 ところが大東亜戦争(太平洋戦争)が開戦するや、頼まれもしないのにその2日後、オランダが日本に宣戦布告をした。結果、350年もインドネシアを植民地支配していたオランダが、侵攻してきた日本軍にわずか1週間で撃破され、インドネシアはオランダ支配から解放された。
 その時の様子を、後にインドネシアから南方特別留学生として広島大学に入学したハッサン・ラハヤ氏が、「350年もの間インドネシアを支配していたオランダが、たった1週間で降参したというのは本当に信じられないことで、私たちはなかなか理解できなかった」と語っていた。

 巨大な体格のオランダ兵の軍隊が、インドネシア人と同程度の体格の日本軍に蹴散らされるさまは想像すらできなかった。当初、インドネシア人は、空から降下する日本軍のパラシュート部隊を「神の軍隊」だと本気で思ったという。日本の敗戦後、オランダは再びインドネシアを植民地にしようとしたが、いったん呪縛から解き放たれた民衆は、決してオランダの意のままにはならなかった。そのうえこの独立戦争には、約1000人の日本兵が現地にとどまって応援したのだから勝利したのは当然ともいえる。

 オランダは米英の戦争に加担することで、おこぼれにあずかろうという卑しい魂胆だったのだろう。ところが日本の活躍でとんだ赤っ恥を掻いた。しかもいったん目覚めた国を、再び植民地にすることはできない。よっぽど悔しかったのですね。
 そのせいでしょう。BC級軍事裁判では、捕虜になったオランダ将校を裁判官に任命するなどして、徹底して日本に負けたことに対する「報復裁判」を行った。例えば捕虜を殴ったという嫌疑で、処刑された日本軍の将校がいたほどです。

 オランダ軍を打ち破った日本陸軍・今村均大将は直ちに軍政を敷いた。それまで抑圧されていたインドネシア人による軍隊の結成や官僚の育成、投獄されていたインドネシア独立運動の指導者たちの釈放、法制度、オランダの愚民化政策で行われていなかった教育制度の確立を目指した。
 オランダにより禁止されていた民族共通語としてのインドネシア語教育、誇りを取り戻すために歴史教育の開始、そのほか病院や道路、上水道設備、学校、工場などの様々なインフラ整備を進めたのです。(つづく)
プロフィール

村 岡 長 治

Author:村 岡 長 治
出自:兵庫県姫路市
現在:埼玉県富士見市
仕事:特定社会保険労務士、行政書士

筑波大学付属駒場高等学校卒業後、早稲田大学理工学部に学ぶが、家業を継ぐため学業途上で帰郷。
現在、川越・ふじみ野・富士見方面で、社会保険労務士・行政書士業をやっています。

「村岡労務行政事務所」のホームページもご覧ください。

両士業の支部内で、勉強会などを持てるといいと思っています。信頼できる同志との連携を深めたい。

お客様とは互いに信頼でき、長続きする関係を築いて行きたい。

趣味は酒、旅行、絵画・音楽・書の鑑賞など。子供たちも独立して、いまは夫婦2人です。

リンク
カレンダー
10 | 2016/11 | 12
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 - - -
最新記事
最新コメント
カテゴリ
最新トラックバック
月別アーカイブ
訪問者数カウンター
検索フォーム
RSSリンクの表示
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR