アジアの開放と共存共栄を目指した「大東亜共栄圏」構想

 日本人の評判がいいのは、何も今日に始まったことではありません。
 明治政府が岩倉使節団を欧米に派遣してから、日本人が海外で活躍の場を求めることも多くなった。しかしどこへ行っても日本人の評判は良かった。

 港町の酒場では2mを超えるだろうという大男が日本人に絡んでくることもあった。日本では背丈は5尺(1m50cm)あれば一人前といわれていた時代です。大男は黄色い東洋人をからかっていたのだろうが、相手にしない日本人に、やがて引っ込みがつかなくなった。
 勢いに任せて殴りかかったとたん、その場に投げ飛ばされ、ねじ伏せられた。こういう例はあちこちであった。当時、外国へ行く日本人はほとんどが元武士。皆、武術を身につけていたのだ。だが日本人が、自分から騒動を起こすことはなかった。

 他にも例を挙げましょう。日露戦争前の広瀬武夫(後に中佐)をごらんください。駐在武官としてロシアに滞在時、ロシア武官を父に持つ若き女性アリアズナと恋仲になったといわれる。それに嫉妬したのか、あるパーティの席上、ロシアの若い将校が難癖をつけて、どちらが強いか勝負しようとからんできた。
 周囲は事の成り行きに固唾をのんで見守っていたところ、いきなり殴りかかった。そのとたん相手はその場に投げ捨てられ、周りから拍手が起きたという。
 広瀬は海軍兵学校時代柔道に励み、講道館4段を取得していた(後に6段に)。日露戦争で旅順港閉塞作戦の直後、「杉野はいずこ」と沈みゆく船の中を3度まで探して自らも死亡、後に「軍神」と崇められた人です。

 私は外国旅行が好きなものですから、以前はけっこう出かけました。そこで、韓国人や中国人に嫌な思いにさせられたことは少なくありません。それ以上に、日本人ということで信用されたことも多い。
 通貨「円」の信用も大変なものですよ。当時、中国の「人民元」など、物の数ではなかった。アジアの国では、自国の通貨より、円かUSドルの支払いを望むところが多かった。

 そこで前回のブログで、「日本国がどういう国か。本当の日本を知りたくありませんか」と申し上げたのです。現在の日本が世界から好まれているのは事実です。しかも日本は過去、アジアをはじめ、有色人種の国家に対して大いなる貢献をしてきたのです。
 「大東亜共栄圏構想」を描いた日本は 欧米諸国(特に大英帝国・アメリカ合衆国)の植民地支配から東アジア・東南アジアを解放し、共存共栄の新たな国際秩序建設を目指した。第2次世界大戦時における構想です。
 残念ながら、日本は戦争に敗れました。しかし日本の活躍で、多くの国家が独立したのです。当時、アジアで独立国は日本とタイだけだった。中国は内戦状態、それ以外の国は欧米列強の植民地だったのです。
(つづく)
プロフィール

村 岡 長 治

Author:村 岡 長 治
出自:兵庫県姫路市
現在:埼玉県富士見市
仕事:特定社会保険労務士、行政書士

筑波大学付属駒場高等学校卒業後、早稲田大学理工学部に学ぶが、家業を継ぐため学業途上で帰郷。
現在、川越・ふじみ野・富士見方面で、社会保険労務士・行政書士業をやっています。

「村岡労務行政事務所」のホームページもご覧ください。

両士業の支部内で、勉強会などを持てるといいと思っています。信頼できる同志との連携を深めたい。

お客様とは互いに信頼でき、長続きする関係を築いて行きたい。

趣味は酒、旅行、絵画・音楽・書の鑑賞など。子供たちも独立して、いまは夫婦2人です。

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