マニラのBC級軍事法廷で、涙をさそった本間中将夫人の証言

 (前回の続き)
 ここで一言、本間雅晴中将について書いてみたい。以前、軍事法廷における夫人の証言を読んだとき、私は流れる涙を止めることができなかった。
 ところで、いつも私は申します。A級、B級、C級というのは「戦犯」の罪の重さではない、単にGHQが区分した「戦争犯罪の種類」が違うだけだ、と。本間中将が裁かれたのはBC級を管轄する軍事法廷のうちの1ヵ所、フィリピン・マニラの法廷でした。

 次はマニラに向かう前の、夫人の会見を伝えた新聞記事です。
 「私は主人の命乞いに行くのだというような気持ちは、毛頭ございません。本間がどういう人間であるか、真実の本間を全世界の人々に1人でも多く知っていただきたいのです。… 裁判の結果などは念頭にありません」
 「私の責任の重大さは十分認識しています。衆人環視の法廷に立って少しでも気怯れがして、言うべきことも言えなかったりしてはなりません。日本の家庭婦人としての面目を、少しでも傷つけるようなことがあったら日本の皆様に本当に中し訳ないことだと思います。日本の女として初めて世界の視線に立つだけの覚悟は十分致して参るつもりでおります」
(昭和21年1月12日 朝日新聞)

 昭和21年(1946年)2月7日、元フィリピン派遣軍総司令官・本間雅晴中将を戦犯として裁くマニラ軍事法廷では、弁護人側証人出廷の最終日でした。夫人の証言も終わりに近づくころ、被告の人となりを問われた彼女は、まっすぐ顔を上げて答えた。ごく一部分ですがご紹介します。

 「私は東京からここへ参りました。私は今も本間雅晴の妻であることを誇りに思っております。私には娘がひとりおります。いつの日か、娘が私の夫、本間雅晴のような男性とめぐり合い、結婚することを心から願っております。本間雅晴はそのような人でございます」
 「本間は、小さなことでも逃げ口上を言う男ではございません。彼は心の広い人で、細かいことにこだわりません。また彼は平和的な雰囲気を創り出し、その中で過ごすことを好みます。彼の行為はすべて、このような姿勢に基づいているのです。例えば外で嫌なことがあっても、彼は決して家に持ち込んだことはありません。常に微笑を浮かべて帰宅しました。本間はそのような性格の人です」

 途中省略しますが、最後に夫人はこう締めくくりました。
 「わたしは今なお本間の妻たることを誇りにしています。わたしは夫、本間に感謝しています。娘も本間のような男に嫁がせたいと思っています。息子には、日本の忠臣であるお父さんのような人になれと教えます。わたしが、本間に関して証言することは、ただそれだけです」
 本間が裁かれた法廷で、「息子には、日本の忠臣であるお父さんのような人になれと教えます」と富士子は堂々と述べた。涙を見せず毅然と放った言葉に、法廷のあちこちからすすり泣く声が聞こえたという。

 マニラ軍事裁判の日本の弁護人、アメリカ人フランク・リール弁護人は次のように述べている。
 「祖国を愛するいかなるアメリカ人も、消しがたく苦痛に満ちた恥ずかしさ無しには、この裁判記録を読むことはできない … 。われわれは不正であり、偽善的であり、復讐的であった」

 翌日のマニラ・タイムスを始め各新聞紙上には、本間の夫人、富士子を絶賛する記事であふれた。
マニラ市内で日本人と分かると、石を投げるような反日感情が強かった国で、夫人の姿を見ると握手を求めるほど市民の気持ちは一変していた。
 次は処刑10日程前の、本間中将から夫人への遺言です。
 
 「書き残したい事は既に書きつくし、言い残したいこともたいてい言った。もはや此の世に残して置きたい事はなくなった。ただ妻への感謝をまだ充分に言いつくさぬように思う。二十年の結婚生活の間、随分と意見の相違もあり、激しい喧嘩もした。この喧嘩も今はなつかしい思い出となった。
 いま別れの時に際して御身のいい所が特に目について欠点と思われるものはすっかり忘れてしまった。私が亡くなっても子供達は御身の手によって正しく強く成育すると思うから、少しもこの点に心残りはない」(中略)
 「二十年の歳月、短いようで長い、仲よく暮らした事を思うて満足している。あの世とやらがあるならそこで又々夫婦となろう。先に行って待っているが急いで来てはならぬ。子供達の為になるべく長く、この世に寿命を保って私の出来得なかった事、即ち孫や曾孫を抱いたり撫でたりして、あの世で逢う時には沢山その土産ばなしを聞かせてくれ。どうも長い間世話になって有り難う」(「本間雅晴中将とその夫人」から)
 
 処刑は昭和21年4月3日。ちょうど4年前に、陸軍第14軍司令官本間中将の口から総攻撃の命令が下された同じ月日、同じ時刻にあわせて執行された。当時、ほとんどの将校の死刑が囚人服で絞首刑であったのに対し、本間中将は略式軍服の着用が認められ、しかもその名誉を重んじて銃殺刑であったという。本人も立派な識見の持ち主ですが、同時に夫人の証言が大きく影響していたのかもわかりません。(つづく)

本間雅晴中将(中央)
中央で手を組んでいるのが本間雅晴中将
プロフィール

村 岡 長 治

Author:村 岡 長 治
出自:兵庫県姫路市
現在:埼玉県富士見市
仕事:特定社会保険労務士、行政書士

筑波大学付属駒場高等学校卒業後、早稲田大学理工学部に学ぶが、家業を継ぐため学業途上で帰郷。
現在、川越・ふじみ野・富士見方面で、社会保険労務士・行政書士業をやっています。

「村岡労務行政事務所」のホームページもご覧ください。

両士業の支部内で、勉強会などを持てるといいと思っています。信頼できる同志との連携を深めたい。

お客様とは互いに信頼でき、長続きする関係を築いて行きたい。

趣味は酒、旅行、絵画・音楽・書の鑑賞など。子供たちも独立して、いまは夫婦2人です。

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