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「地下室のメロディー」の監督は トルコからフランスへ亡命していた

 話をもう一度難民に戻しますが、こういう人たちもいるのです。アルメニア系フランス人のアンリ・ヴェルヌイユ、と言ってすぐに思い出されるなら、よっぽど映画がお好きな方だと思います。脚本家・映画監督で、「地下室のメロディー」「女は一回勝負する」「華麗なる大泥棒」など、数々の名作を物した人物です。

 彼はトルコのテキルダーで、アルメニア系の家庭に生まれたそうです。子供の時にトルコ政府の弾圧を避けて、家族でフランスのマルセイユに移住した。そのときの話を何ヵ月か前に車のラジオで聞きました。
 しばらく後のことです、毎日新聞の「金言(kin-gon)」欄にこんな話が掲載されていたので、長くなりますがその一部をご紹介します。毎日新聞客員編集委員・西川恵氏がインタビューしたという。

 (略)1915年に始まったアルメニア人弾圧で多くの犠牲者が出るに及び、亡命を決意した。24年、同氏4歳のときである。「困窮からではなく、生命が脅かされての亡命だった」と同氏は語っている。今のシリアと同様だ。
 出国時、トルコ政府は身の回り品の携帯しか認めず、母はお金を小さな金塊に換え、一つひとつ布でまいて服に縫いつけ、ボタンに見せた。これがフランスのマルセイユ港に着いた時の一家の全財産だった。
 「入国事務所での光景は今も鮮明に覚えている」と言った。一家の書類を精査する係官の持ったゴム印が宙で止まっている。それを不安げに見守る両親。印が押されると入国可。そうでないと不可でトルコに戻される。「ゴム印が押された時、両親の安堵のため息が聞こえたと思った」とも。後に字が読めるようになって分かったが、印は「無国籍」とあった。
 自由の地のイメージがあったフランスだが、理想郷ではなかった。いじめもあった。しかし父は常に「先住の人に優先権がある。ぶつかった時は我々が譲るべきなのだ」と諭 した。家でアルメニア語を話し、アルメニア料理を食べても、外ではフランスの習慣に従った。母も料理する時、強い香辛料のにおいが漏れないよう窓を閉め切った。同氏がフランス国籍を取得したのは22歳の時だった。
 私がインタ ビューしたのは 93年。(彼は)すでに脚本家として名をなし、難民への 国籍付与の条件変更を検討する政府の審議会委員をしていた。「アルメニア人としての誇りを一日も忘れたことはないが、受け入れてくれたフランスへの感謝も忘れたことはない」と語っていた。
 (毎日新聞 2015.9.25)


 長い引用で恐縮でしたが、なかなかいい話ではありませんか。こういう政治難民の方たちが亡命を求めるなら、私たちもぜひ手を差し伸べたいと思いますよ。過去日本に押 しかけた難民は亡命ではない、いわば出稼ぎです。しかも余りに性質(たち)が悪すぎた。「羹(あつもの)に懲りて膾(なます)を吹く」 のもやむを得ないではないか。
プロフィール

村 岡 長 治

Author:村 岡 長 治
出自:兵庫県姫路市
現在:埼玉県富士見市
仕事:特定社会保険労務士、行政書士

筑波大学付属駒場高等学校卒業後、早稲田大学理工学部に学ぶが、家業を継ぐため学業途上で帰郷。
現在、川越・ふじみ野・富士見方面で、社会保険労務士・行政書士業をやっています。

「村岡労務行政事務所」のホームページもご覧ください。

両士業の支部内で、勉強会などを持てるといいと思っています。信頼できる同志との連携を深めたい。

お客様とは互いに信頼でき、長続きする関係を築いて行きたい。

趣味は酒、旅行、絵画・音楽・書の鑑賞など。子供たちも独立して、いまは夫婦2人です。

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