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「百人斬り競争」 は東京日日の記者が持ちかけた戦意高揚記事

ユネスコが 「南京事件」 に関する資料の世界記憶遺産登録を決めたことについて、ある一点から取り上げてみたい。登録にどんな資料が含まれているか公表されてはいないが、毎日新聞によれば 「南京軍事法廷」 で、日本軍の戦犯とされた谷寿夫中将に下された判決文も含まれているという。
南京軍事法廷といえば、すぐ頭に浮かぶのは、「百人斬り競争」 で処刑された2人の少尉が裁かれた法廷でもあります。
皆さんご存知のように、百人斬り競争とは、支那事変初期、旧帝国陸軍の野田毅少尉と向井敏明少尉が南京入りまでの間に、軍刀でどちらが早く中国兵100人を斬るか競ったとされるものです。(支那事変を日中戦争ともいうが、両国とも宣戦布告をしていないので、事変と呼ぶことが適当かと考えます)

これは東京日日新聞(現在の毎日新聞)に掲載された 「戦意高揚記事」 であり、もちろん事実ではない与太話の類です。しかし戦中は前線勇士の武勇談とされ、地元で英雄譚として大いに称賛された。鹿児島の某尋常小学校の副教材では百人斬り競争をとりあげ、教師が 「血わき、肉おどるような、ほがらかな話であります」 と紹介したという。(人斬りのどこが 「ほがらか」 なのか理解できない)

野田は、地元の小学校、中学校で 「百人斬り講演」 を行った。これは講演を懇願され、戦意高揚のための 「ネタ話」 として行ったものでしょう。だが戦後は一転、南京事件を象徴するものとして非難の対象になった。今日、事実か否か、民間人も斬ったのかを巡って論争がある。
また、遺族を原告とした名誉毀損裁判が提訴された。判決では 「同記事の〈百人斬り〉の戦闘戦果は甚だ疑わしい」 としながらも、訴訟は原告の敗訴に終わった。

稲田朋美氏(衆議院議員)は次のように述べている。
「私は、弁護士時代に2人の将校の遺族が毎日新聞と朝日新聞らを名誉棄損で訴えた裁判の代理人になった。東京高裁の判決の中で、百人斬り競争について 『同記事の内容を信じることはできないのであって、同記事の〈百人斬り〉の戦 闘戦果は甚だ疑わしいものと考えるのが合理的である』 とされた。南京軍事裁判の様子は、両少尉が獄中で記した記録などで明らかになっているのだが、1人の証拠も証言もなく、唯一創作新聞記事のみで、たった3時間の審理で銃殺刑になったのだ。谷中将の軍事裁判でも証人申請は却下され、谷中将は最後まで無実を主張していた」(夕刊フジ 2015.10.29)


東京日日新聞の記事では、野田少尉と向井少尉が戦場で 「百人斬り競争」 を始め、その途中経過を記者らに逐次伝えたことになっている。しかし実態は、2人が1937年秋に無錫(むしゃく)で東京日日新聞の記者から話をもちかけられたらしい。野田が戦後残した手記には、記者の話した内容を次のように明かしている。

「ドウデス無錫から南京マデ何人斬レルモノカ競争シテミタラ。記事ノ特種ヲ探シテヰルンデスガ」
(と持ちかけられたらしい。向井が冗談のつもりで応じると、記者は)
「百人斬競争ノ武勇伝ガ記事ニ出タラ花嫁サンガ殺到シマスゾ」
「記事ハ一切記者ニ任セテ下サイ」。


2人の少尉と記者は、そのまま無錫で別れた。野田少尉によれば、件の記者と再会した時には、すでに 「百人斬り競争」 の記事が日本で話題になっていたという。これは、2人の知らない内容の創作話が東京日日新聞に掲載され始めた、ということではないか。(つづく)
プロフィール

村 岡 長 治

Author:村 岡 長 治
出自:兵庫県姫路市
現在:埼玉県富士見市
仕事:特定社会保険労務士、行政書士

筑波大学付属駒場高等学校卒業後、早稲田大学理工学部に学ぶが、家業を継ぐため学業途上で帰郷。
現在、川越・ふじみ野・富士見方面で、社会保険労務士・行政書士業をやっています。

「村岡労務行政事務所」のホームページもご覧ください。

両士業の支部内で、勉強会などを持てるといいと思っています。信頼できる同志との連携を深めたい。

お客様とは互いに信頼でき、長続きする関係を築いて行きたい。

趣味は酒、旅行、絵画・音楽・書の鑑賞など。子供たちも独立して、いまは夫婦2人です。

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