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悪意と捏造の「南京大虐殺」事件、東中野博士がカラクリをすべて白日に

先月11日でしたか、「南京大虐殺文書」 が記憶遺産に登録されたことについて当ブログで一言述べました。本日は 「南京大虐殺」 といわれる事件が、いかに悪意と虚偽に満ちた捏造であるかを少しく述べてみたいと思います。詳しいことは皆さんがよくご存知 だと思いますが、「釈迦に説法」 でしたらご容赦ください。

日本軍の南京入城のときの様子です。当時の南京市の広さはおよそ鎌倉市と同程度で、市民は14、5万人いたらしい。すでに中国軍(蒋介石率いる国民党軍)の敗戦は明らかだったのだから、日本が降伏勧告をしたとき、それを受け入れるべきだった。しかし蒋介石から指揮をゆだねられた唐生智は、“徹底抗戦”を兵に押 しつけた。それだけではない、兵には逃げることを許さなかったにもかかわらず、最高司令官の自分はさっさと逃げてしまったのです。国際法上からいえばこのやり方はまずいでしょう。

そのときの混乱を想像できますか。兵隊は軍服を身につけなければいけない。民間人と区別するためです。戦時中、交戦 国の兵を 殺 戮 しても 問題にならないが、民間人を傷つけることは許されない。
ところが司令官がいない中国兵は、勝手に軍服を平服に替えて、民間人の中に紛れ込んでしまうものがかなりの数にのぼった。それだけではない、隙を見ていきなり日本兵を襲撃する。いわゆる便衣兵(べんいへい)といわれる連中です。当然、便衣兵は成敗されます。混乱時です、なかには一般市民を便衣兵と間違えたことがあったかもしれない。便衣兵が処刑されるのは当然。間違えられた者もいるでしょうが、これは中国側 の責任ではないか。

便衣兵は捕虜とは異なり、陸戦法規の適用も受けられない。東中野修道博士は 「日本軍は便衣兵の厳正な摘出を行い、捕虜の資格が無い便衣兵のみを処刑 したものだ。これが曲解されたものが南京大虐殺である」 と主張しています。
博士は南京虐殺に関するといわれるあらゆる写真を1枚1枚検証した。もう何年も前のことで私の記憶に定かではない部分があります。例えば南京入城 時という写真を、“12月という極寒のシナ大陸で、夏服を着ているなどあり得ない” と断定 した。中国まで出かけて、その時季の日照角度から割り出した陰の長さで何枚もの証拠写真といわれているものを否定。さらに中国が制作したプロパガンダ映画の写真も証拠として利用しているなど、ことごとくその偽装を暴いている。たしか 「本物だ」 といえる写真は1枚も無かった記憶がある。

そもそも15万人ほどの都市で、どうして30万人を殺せるのか。死体の焼却はどうしたのか。土葬に したとしても、30万人の人骨など隠せるものではない。掘り出せば明らかになるではないか、なぜいまだにそれができないのか。
15万人だった南京市の人口が、南京陥落の1ヵ月後には25~30万人に増加している。これはどういうことか。日本軍が入城して安全になったから、南京市の外からも中国人が流入してきたというのです。

中国側が南京虐殺の証拠として取り上げる著書も、いかに悪意と歪曲に満ちたものを掲載しているか。たとえば蒋介石の中国国民党宣伝機関のメンバーであった者が執筆した書が多い。たとえば南京事件を世界に広め、東京裁判にも影響を与えたとされる 「戦争とは何か(What War Meand)」 の著者、オーストラリアの記者ハロルド・ティンパリ―は国民党宣伝機関の英国支部責任者でした。産経新聞の調査では、台北の国民党党史館で党の宣伝活動に関わった詳しい資料が見つかり、彼らの活動状況が明らかになったという。

悪名高い著書 「ザ・レイプ・オブ・南京(The Rape of Nanking : The Forgotten Holocaust of World War II)」。 これは中国系アメリカ人のアイリス・チャンが著者です。少女時代から、両親に 「南京大虐殺」 の話を聞いていた。小学生の頃、図書館でその事件に関する書物を探したが何も見つからず、学校でそのことについて教えられることもなかった。20年後にこの事件の映画を製作していたプロデューサーに出会い、そのあと中国系団体「世界抗日戦争史實維護聯合會」の集会に参加 し、本書の執筆を決意したという。お分かりですね、一方的な話を聞き、それを事実のように書いていたのです。


南京事件を徹底検証した東中野修道博士が、チャンの描く史実の誤り、捏造を数十か所も指摘 した。さらにチャンに対して 「公開質問状」 をつきつけた。だがチャンはまったく反論できなかった。そんなある日、銃による自殺で人生の幕を閉じてしまったのです。ところがこんなものが、「南京虐殺を伝える本」 として、いまだに世界にまかり通っているのです。

どうですか、「南京虐殺」 がいかにデタラメ か、お読みいただいていくらかお分かりだと思います。
プロフィール

村 岡 長 治

Author:村 岡 長 治
出自:兵庫県姫路市
現在:埼玉県富士見市
仕事:特定社会保険労務士、行政書士

筑波大学付属駒場高等学校卒業後、早稲田大学理工学部に学ぶが、家業を継ぐため学業途上で帰郷。
現在、川越・ふじみ野・富士見方面で、社会保険労務士・行政書士業をやっています。

「村岡労務行政事務所」のホームページもご覧ください。

両士業の支部内で、勉強会などを持てるといいと思っています。信頼できる同志との連携を深めたい。

お客様とは互いに信頼でき、長続きする関係を築いて行きたい。

趣味は酒、旅行、絵画・音楽・書の鑑賞など。子供たちも独立して、いまは夫婦2人です。

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