七奪の2-①「国王を奪われた」 という嘘 (韓国の歴史捏造を暴く)

(「国王を奪われた」という嘘)
◆一進会の百万会員が日韓併合を要請、李王一家は皇族に取り立てられた

日韓併合で日本が朝鮮国王を奪った、というのはとんでもない言いがかりです。
大中華(中国)が易姓革命を至上としている以上、小中華(朝鮮)もそれに倣うのは当然の成り行きでした。
ですから中国と同じく、朝鮮も王朝の継続などということは全く考えることもなく、そのとき邪智に長けた、あるいは力のある者が弱者を滅ぼしてきた。例えば李氏朝鮮の最初の王といわれた李成桂は、一度は高麗の国王に恭譲王を擁立したが、のちに恭譲王をはじめ一族郎党を抹殺して、やがて自分が王位についた。

こんなところに日本が入り込む余地などまったくないし、いつ誰にどの王が殺され、誰が即位したかは朝鮮内部の問題にすぎない。とはいうものの、韓国宮廷内は彼らの事大主義から親日派と親露派に大きく分かれた。
さらに親清朝もいたからもの凄く複雑だ。日露戦争で日本が勝利してからは、宮廷内では親日派の力が大きく伸長した。これは当然の帰結です。何といっても事大主義の連中ですから。


李完用は日本に韓国を併合してもらう方針を採りました。前回ひと言だけ触れましたが、一進会などは百万人の署名を集めて日韓併合を願い出たといわれます。一進会とは1904年から1910年まで韓国で活動した当時最大の政治結社。宮廷での権力闘争に幻滅し、次第に外国の力を借りてでも、韓国の近代化を目指す方向に傾きつつあった、開化派の人々が設立した団体です。

李完用と一進会の目指すところには多少のずれがあったと思われるが、1909年12月、一進会は韓国2千万国民(当時)を代表し、百万人会員の名で、日韓合邦を要求する声明書を提出した。この声明文は韓日(日韓)合邦上奏文として純宗(高宗のあとの王)に送り、内外に合邦声明書として発表した。かくして韓国は日本と「韓国併合に関する条約」を結び日本国に併合されたのです。


「国王を奪われた」というのは言いがかりに過ぎないが、おそらくこのとき韓国国王という存在がなくなったことを言うのか。しかし誰が考えてもわかることですが、日韓併合は韓国でも大多数が望んだ。韓国が日本に併合されるのに、日本の皇室を廃止して韓国の王を残せるわけはないだろう。

まして当時の韓国王・高宗はロシアに内通し、その他の国と隠密裏に交渉しようとして退けられ、息子純宗が王位をついだばかりだ。
当時の世界の常識からいえば、高宗はじめ一族が殺戮されても文句のつけようはなかった。しかし日本はその一族を助けただけではない、皇族にまで取りたてたのだ。国王を奪ったのではない、皇族として存続させたのだ。国王を奪ったのは朝鮮自体だ、あとでそれを述べよう。

高宗は日韓併合にともない徳寿宮李太王の称号を受け、67歳で死去するが、日本の王公族徳寿宮李太王熈として国葬が執り行われた。朝鮮総督府の歳費項目には、李王が受ける歳費として毎年180万円計上されていたという。現在の価値では200億円になるらしい。高宗はハーグ密使事件などで日本に背いたが、息子・純宗は李王の称号を賜ったのだ。

高宗と側室との間に生まれた庶子・李垠(りぎん)は、純宗即位と同時に韓国最後の皇太子となった。彼は日本の皇族梨本宮守正王の第一女子・方子(まさこ)女王と結婚した。方子様は昭和天皇のお妃候補に挙げられていた方です。この話が決まった時、ご本人のショックは大変なものだったと読んだことがあります。
そのほか韓国の高官、功労者など多数が日本の爵位を与えられ、貴族の仲間入りをしたのですよ。

下の写真は李垠と方子妃です。(ウィキペディアより)

李垠と方子妃(ウィキペディアより)

「植民地にされた」と韓国人は騒ぐが、当時は帝国主義時代、植民地を持つのは国の誇りだったのですよ。その国は羨望の眼差しで見られた。しかしちょっと待ってもらいたい、日本は併合したが、植民地にはしなかった。しかも併合は、一進会を中心として韓国が積極的に要請したではないか。しかもアメリカ、イギリス、ロシアをはじめ世界各国が賛成したではないか。

インドを植民地にしたイギリス。果たしてインド人のための学校を1校でも造ったか。鉄道は、綿花を港まで運ぶためにつくっただけだった。

日本は朝鮮人のために小学校・中学校を何千造ったか知っていますか。高校、さらには国立大学まで造っ
たではないか。今韓国でナンバー・ワンと言われるソウル大学は当時の京城帝国大学ですよ。
ダム、発電所を建設した、道路をつくり鉄道を敷いた、朝鮮人のためにすべて日本のカネでやったものではないか。


ばかばかしいからもうやめましょう。どれほど餌をもらっても、ハイエナなどは恩人に平気で噛みつく。同じだね。いずれキミらには天罰が下るのだよ。(つづく)


プロフィール

村 岡 長 治

Author:村 岡 長 治
出自:兵庫県姫路市
現在:埼玉県富士見市
仕事:特定社会保険労務士、行政書士

筑波大学付属駒場高等学校卒業後、早稲田大学理工学部に学ぶが、家業を継ぐため学業途上で帰郷。
現在、川越・ふじみ野・富士見方面で、社会保険労務士・行政書士業をやっています。

「村岡労務行政事務所」のホームページもご覧ください。

両士業の支部内で、勉強会などを持てるといいと思っています。信頼できる同志との連携を深めたい。

お客様とは互いに信頼でき、長続きする関係を築いて行きたい。

趣味は酒、旅行、絵画・音楽・書の鑑賞など。子供たちも独立して、いまは夫婦2人です。

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