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読売に発表 「尖閣、400年前は支配外…明王朝公式日誌に」 と

前回のブログに米ニューヨークタイムズ電子版が、「尖閣諸島は日清戦争の戦利品として日本が奪取したことは明治時代の文書から明白」と掲載したことを述べました。同時に、「日本の声が小さすぎる」と発信力の弱さを指摘しましたが、それはそれとして1月21日、読売新聞が尖閣は400年前には明王朝(現在の中国にあたると主張する)の支配外であった証拠の文献が見つかった、と極めて重大な記事を発表していた事実を YOMIURI ONLINE で知りましたので、その部分を全文転載させてもらいます。まだご存知ない方は、ぜひお読みください。

中国の明王朝の公式日誌「皇明実録(こうみんじつろく)」の中に、明の地方長官が日本の使者との間で、明の支配する海域が尖閣諸島(沖縄県)より中国側にある台湾の馬祖(ばそ)列島までと明言し、その外側の海は自由に航行できるとした記述を、長崎純心大の石井望准教授(漢文学)が見つけ、21日午前に長崎市内で記者会見して明らかにした。

中国は現在、尖閣諸島を約600年前の明の時代から支配してきたと主張しているが、石井氏は記者会見で、「歴史的に見ても、尖閣を巡る論争は日本側の主張が正しいということが、この史料からわかる」と語った。

石井氏が見つけたのは、江戸時代初期にあたる1617年8月の皇明実録の記述。沿岸を守る長官だった「海道副使(かいどうふくし)」(海防監察長官)が、長崎からの使者・明石道友(あかしどうゆう)を逮捕・尋問した際の記録で、皇帝への上奏文として納められていた。

それによると、この海道副使は明石に対し、沿岸から約40キロ・メートルの「東湧島(とうゆうとう)」(現在の馬祖列島東端・東引島(とういんとう)などの島々を明示したうえで、この外側の海を「華夷(かい)の共にする所なり」とし、中国でも他国でも自由に使える海域だと指摘したという。魚釣島(うおつりじま)などからなる尖閣諸島は、中国大陸から約330キロ・メートル離れている。

中国は、明王朝の1530年代に琉球に派遣された使者の記録をもとに、琉球の支配海域の境界は尖閣諸島の東側にある久米島と同諸島の大正島の間にあり、魚釣島などは明の領土だったと主張している。だが、今回の記述により、明の支配海域は沿岸から約40キロ・メートルまでで、尖閣諸島はどこの国にも属さない「無主地」だったことが明らかになった、と石井氏は指摘している。日本政府は、尖閣諸島が「無主地」であることを調査・確認したうえで、1895年に日本に編入したとしている。
(読売新聞2012.1.21.14時36分配信)


この日誌を見る限り、明の支配海域はシナ大陸の沿岸から40キロ・メートルの島までで、それ以遠は明に属していない。尖閣諸島は330キロ・メートルも離れているというではないか。

その尖閣諸島を国際法に基づき、先占の法理に則って日本の領土として閣議決定し、世界に発信したものです。中国が「昔から自国領」などというのはとんでもないまやかし。まして事情も知らない米ジャーナリストが何を言うのかということです。しかしそれを知らせなければ、日本の正当性が世界には伝わらないのです。