FC2ブログ

台湾慰安旅行、故宮や九份の街を満喫

埼玉の社労士です。
6月8日~11日までの4日間、妻の仕事場のスタッフを連れて、妻と8人で台湾4日間の慰安旅行に行き、疲れ果てて帰ってきたことは何日か前のブログに投稿しました。
疲れはしましたがみんな喜んでくれて、企画・実行した甲斐があったと感じています。

宿泊はサントスホテル(三徳大飯店)、淡水線の民權西路駅から徒歩5分以内と大変ロケーションも良いところでした。ただホテルの「格」としては、ガイドブックなどによると「中級」です(一部、高級ホテルに分類しているものもあります)。

ただ、それは企画の段階から、「大勢だから高級ホテルというわけにはいかない。中級になるが、我慢してほしい」と伝えてあったので、むしろ、「考えていたよりもベターだ」と思ってくれたのではないでしょうか。

旅行直前まで、2人が風邪のため体調が思わしくなくて心配していました。妻も少し指圧をしてあげて、症状の改善に努めてきました。当日元気な姿を見てほっと一安心。
午前中に、池袋で待ち合わせて日暮里からスカイライナーで成田へ。今は第2ターミナルまで30数分です、かつてより20分近く短縮されたのには驚きました。これなら、羽田へ行くのと全く変わりません。池袋からなら、むしろ便利かも…。

ホテルのチェックインをすませたのは夕刻8時過ぎでした。出発がゆっくりだったので、この時間になってしまったのです。機内食は出たのですが、少し物足りなかったので近くのセブンイレブンで飲み物と少々の食べ物を購入。なにせ、台湾は人口当たりのコンビニ数は世界一だといいます。それも台北に集中しているのです。
私達が宿泊したホテルの隣にも、大通りを隔てた向かいにもセブンイレブンがありました。

翌9日は「1日ツアー」を申し込んであります。ホテルで朝食をとった後、用意した中型バスに8人が乗り込んで出発です。
総統府、中正紀念堂など台北市内観光から、故宮博物院、忠烈祠の衛兵交代などを見学して、九份の散策。そのあと士林の夜市でバスを降り、夜市を見たあとは電車でホテルに帰りました。


ツアーの様子について少々書いてみます。
中正紀念堂は蒋介石の業績をたたえるために、息子の蒋経国が建立したもの。税金で、よくよくこんなバカでかい物を建てた、と半分は呆れています。蒋介石は、名は中正で字は介石。日本では蒋介石と呼ばれていますが、台湾一帯では蒋中正といわれ、名に由来して中正紀念堂と名付けられたということです。

昼食は鼎泰豊で小籠包のコース。
午後はまず故宮博物院へ。蒋介石が大陸から台湾へ逃げるとき、軍艦3隻で運んだ数10万点の宝物は、まだ公開されていない物が多数に上るという。ここは大英(イギリス)、エルミタージュ(ロシア)、メトロポリタン(アメリカ)と並ぶ、世界4大博物館の1つです。時間はおよそ90分、なにせ数が多いから、相変わらずの駆け足鑑賞です。

ガイドさんとの待ち合わせ場所は孫文の像の前に決めていましたが、場所がわからなくなってしまいました。博物院の職員に「孫文の像はどこですか」と尋ねましたが、「ノー・ジャパニーズ。スピーク・イングリッシュ」と返ってきたので思わず、
「Okay.How can I get to the Statue of SOMBUN?」

ところが相手は全く理解できません。台湾でも日本語を少し話せる人なら「ソンブン」で通じるのですが、中国(もしくは台湾)の発音は別なのですね。たとえば毛沢東は日本では「モウタクトウ」と言いますが、中国では「マオツートン」。
ところが私は孫文の中国読みを知りません。そこで紙とペンを取り出して「孫文」と書くと相手もすぐに分かって、場所を教えてくれました。
「さすが漢字の国」
思いがけないことで感心させられた一幕でした。

夕刻は九份(きゅうふん)トワイライトツアーです。散策するうちにようやく日も傾きはじめ、提灯の明かりに異国情緒があふれます。
九份はもともと台湾の一寒村に過ぎなかったのですが、19世紀末に金鉱が発見されたことで徐々に町が発展し、日本統治時代に最盛期を迎えたそうです。その後、金鉱が閉山されてからは急速に衰退し、一時は人々からも忘れ去られましたが、やがて80年代になり、台湾映画「悲情城市」のロケに使ったことで再び脚光を浴びるようになったというのです。

九份の街並みは日本統治時代の面影を色濃くとどめた、全体としてレトロ調な街並みで、当時の酒家(料理店)などの建物も多数残されて、その多くは喫茶店などに改装されて現在も残っているといいます。
日本では宮崎駿監督のアニメ映画「千と千尋の神隠し」のモデルになった街として紹介されることが多いようです。夕食は「九戸茶語」で郷土料理に舌鼓。

そのあと九份から台北までおよそ60分の道のりを専用バスで移動。士林の夜市で降ろしてもらいました。
夜市の食べもの屋は劍潭駅のそばに集められ、「美食広場」として栄えていますが、そのほかは以前来た時より、心なしか淋しい感じがしました。帰りは劍潭駅から民權西路駅まで2駅。ホテルまで徒歩約5分です。(以下、次回に続く)


P6090016.jpg

P6090022.jpg
                                 中生紀念堂

P6090013.jpg
                            忠烈祠の衛兵交代式

P6090043.jpg
             九份の坂道で集合写真

P6090032.jpg
                     日本の昔の面影を残す九份の街
プロフィール

村 岡 長 治

Author:村 岡 長 治
出自:兵庫県姫路市
現在:埼玉県富士見市
仕事:特定社会保険労務士、行政書士

筑波大学付属駒場高等学校卒業後、早稲田大学理工学部に学ぶが、家業を継ぐため学業途上で帰郷。
現在、川越・ふじみ野・富士見方面で、社会保険労務士・行政書士業をやっています。

「村岡労務行政事務所」のホームページもご覧ください。

両士業の支部内で、勉強会などを持てるといいと思っています。信頼できる同志との連携を深めたい。

お客様とは互いに信頼でき、長続きする関係を築いて行きたい。

趣味は酒、旅行、絵画・音楽・書の鑑賞など。子供たちも独立して、いまは夫婦2人です。

リンク
カレンダー
05 | 2011/06 | 07
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 - -
最新記事
最新コメント
カテゴリ
最新トラックバック
月別アーカイブ
訪問者数カウンター
検索フォーム
RSSリンクの表示
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR