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勤労感謝の日に上野の都展へ、今年もイチョウが黄葉していなかった

 23日の勤労感謝の日、あいにくの雨天の中を、上野(恩賜)公園の東京都美術館で開催している、第55回「都展」に行ってきました。
 家内が脳出血で倒れたのが2010年の暮れ、翌11年は本当に忙しい年でした。東京警察病院へ2か月の入院の後、それから数年にわたる国立リハビリ病院、民間QOL改善施設への通院。さらに家内の仕事場のスタッフらが動揺もせず、けなげに仕事をしているのに報いる気持ちで、6月にはスタッフを連れて台湾旅行を決行しました(翌年は香港旅行でした)。
 もちろん私は、社会保険労務士・行政書士業務と掛け持ちです。

 その年の9月には、夫婦でイタリア・コスタ社の客船による、日本一周と済州島の10日間クルーズに参加しました。病にたおれてなおさら、2人とも「どこでも、行けるときに行っておくべきだ」という気持ちが強くなっていたのです。
 そのとき船で知り合ったカップルから、毎年都展に作品を出展していることを聞きました。11月、誘われるままに初めて都展に行き、以来、毎年出かけています。

 都展に行く楽しみのもう一つは、絵を見た後、上野駅周辺のビアホールか居酒屋に繰り出し「飲む」ということでした。ところが2年ほど前から女性1人になってしまいました。今年はその女性も、会の役員か何かを任せられたそうで、「これから表彰式があるのでどうしても外せない」と残念がって詫び飲み会は不参加でした。
 やむを得ず2人で、駅にほど近い「YEBISU BAR」に入った。最初はいつものようにビールのハーフ&ハーフを頼み、2杯目は物珍しさもあってグリーンのビアカクテルを頼んだ。しかし思ったほど口に合わず、3杯目は普通のビールで口直しをしました。

 実は、上野の森美術館で「ゴッホ展」をやっているのを知っていました。都展の前に見ようと立ち寄ったのですが、氷雨降る中を大勢が列をなし、「入館まで30分」と表示があったので諦めました。
 ところで公園のイチョウが全く黄葉していないのですね。ここ何年かの異変だと思います。あんまり気になったのでネットで調べてみました。

 イチョウの木は、春から夏にかけて多くのエネルギーを得るために、葉を思い存分に使って、光合成をしている。葉っぱを働かせるだけ働かせて必要なエネルギーを作らせ、最後には、いらなくなった葉っぱを次々とリストラへ追い込むらしい。
 それには昼夜の気温差、大気の状態、湿度等もありますが、いちばんの問題は日照時間が短くなって、光合成が間に合わなくなってくるのではないか。コスパが悪くなるため、葉を落とし、木の本体に残ったエネルギーで過ごそうとする。こうしてリストラされた葉が、黄葉してやがて枯れ落ちる。

 ところが周囲が明るいと木が光合成をあきらめないから、葉が黄葉しない。不正確かもわかりませんが、こんなところではありませんか。だから、コンビニのそばのイチョウの木は黄葉しないというのでしょうか。大雑把な話ですが、もし誤りがありましたらご容赦ください。
 今日も取り留めない話です。失礼しました。

R1 都展1
氷雨降る都美術館、55周年記念都展を開催。午後3時でもう薄暗い

R1 都展2
雨で傘置き場が大混雑

R1 都展4
SHさんがモロッコへ行った時の印象を。題して「働く手」

R1 都展3

R1 都展5
他にもいい絵が多数ありました

R1 都展6
帰りに飲んだビアカクテル。ちょっと期待外れか?

知人から「都展」への招待状、モロッコで物売りを描いたRAIN

 3日の勤労感謝の日、上野の東京都美術館で開催されている第54回「都展」へ、妻と一緒に出掛けてきました。
 都展の鑑賞に足を運ぶのは今年で6年目。平成13年9月、イタリアの客船コスタビクトリアで「済州島と日本一周」の旅に出たおり、私らと同年代のカップルがいました。夕食の席は決められていたのでいつも隣同士。乗船客は2300人ほどいたのですが、劇場やバー、ラウンジ、ダンスパーティ―の場など船内で出会う機会も多かった。
 船は14階建て、私らは9階のバルコニーのある部屋だったのですが、これは偶然ですが、気が付くと彼らとは隣同士だったのです。

 11日間、乗船していた間は付かず離れずの友好な関係だったと思います。キャビンを訪ねるべたべたした関係でもなく、プライバシーに踏み込まないのが楽でした。
 そのとき同じ趣味を通じて知り合ったこと、毎年、都展に油彩画を出展しているということを聞きました。11月、「時間があったらお出かけください」と言葉を添えた案内状が届いたのです。
 今年もいつも通り案内状が届きました。昨年から私らを案内してくれるのはご婦人のSHさん1人になってしまいました。少し寂しそうですが、明るい人なので、酒を飲むと会話がはずみます。

 都美術館へ着いたのは午後4時。3時半から4時ごろと伝えてあったので、1階のロッカールームのそばまで迎えに来ていた。
 2階の展示室をひと通り回った後、3人で街へ繰り出しました。いつもは「ライオン」で飲んだ後、御徒町に近い所まで繰り出していた。
 しかしこの日は上野駅に近い「エビス バー」で。エビスのハーフ&ハーフも旨かったし、生ハムも牡蠣のフライもおいしかった。

 この日は祝日だったので、朝の食事は昼を兼ねたブランチを自宅に近い和食の店で。生ビールと八海山のヒヤを徳利で頼んだが、2合徳利だったのか? 真昼からにしては少々多かった。しかし迎え酒か追い酒か知りませんが、エビスのビールはうまかったですね。
 5時前から飲み始めて気が付いたら7時20分。再会を約してこの日は終わりました。


H30都展5

H30都展4

H30都展6
上野の東京都美術館で
「都展」を鑑賞

H30都展3

H30都展2
SHさんの作品、モロッコで物売りを描いたRAIN

H30都展1
暮れ始めた上野公園、今年は公孫樹の黄葉が見られなかった

世界に印す偉大な足跡! ダウン症と戦う書家「金澤翔子 書展」が上野で

 台東区上野恩賜公園の上野の森美術館で、23日から30日まで、「ダウン症の書家 金澤翔子書展」が開かれています。金澤さんは1985年生まれ。5歳から、書家である母泰子さんに師事して書道を始めた。20歳で初の個展を開いて以来、約280ヵ所以上で開催、100万人以上を動員したという。仕上げた額、屏風など作品は約170点にのぼる。
 ニューヨーク、チェコ、シンガポール、ロシアなどでも個展を開催。NHK大河ドラマ「平清盛」の題字を担当。スポーツ祭東京(国体)開会式で揮毫。天皇陛下の御製を揮毫、紺綬褒章受章。NY国連本部で日本代表スピーチ。日本福祉大学客員准教授を務めるというそうそうたる経歴です。

 妻の仕事は月曜日が休みです。25日に私が妻に同行して、上野恩賜公園まで出かけました。
 ダウン症というのは、通常23組46本の染色体のうち、21番目の染色体が1本増え、全部で47本になったことが原因で起こるそうです。これがダウン症全体の95%を占めるといいます。新生児1000人の1人に症状が現れ、身体的発達の遅延、特徴的な顔つき、軽度の知的障害があるのです。

 日本におけるダウン症研究の権威で、HTという女性医師がいます。妻が知遇を得たきっかけは2013年5月に、板橋区小茂根の心身障害児総合医療療育センターで看護師さん相手に指圧の講習を行ったことです。60人以上の看護師さんが真剣に受講しました。
 このセンターは社会福祉法人日本肢体不自由協会が厚生労働省の委託を受け、障害児の看護を専門として設立されたものです。

 HT先生は現在、妻の指圧治療院の患者さんでもあります。確か月に2回ほど来院しておられるのではないでしょうか。ある日、「この券2枚差し上げるから、ぜひ行ってらっしゃい」と金澤翔子さんの個展の招待券をもらったらしい。
 妻はけっこう能天気なものですから、次に先生に会ったとき「行きたいという人がいたから、あげたら喜んでいました」と報告。すると先生から、「あなたに見てもらいたいからあげたのよ」と言われ、すぐあと2枚を送ってくれたそうです。

 会場には、金澤翔子さんの代表作ばかりが全国から集結。作品総数は60点以上。上野の森美術館の広い空間を活かし、屏風がずらりと並んだ様子は壮観そのものでした。母・泰子さんは翔子さん20歳の時に初個展を主催したが、お母さんの主催としては実に12年ぶりで、今年74歳を迎える「母の終活」でもあるという。
 この書を「ただ誉める」のは簡単かもわかりませんが、それでは意味がないと思います。「素人に何が分かる」とお叱りを覚悟のうえで、私の感じたところを素直に述べてみたい。

 小さな字はさっと見ただけですが、決して上手とは思えなかった。そして何より、書いている内容が般若心経らしかったので、申し訳ないが宗旨が違う私はすぐに他へ移動した。
 小さい字は私の場合、例えばペンで書く時を考えてみました。横棒を引き「ここまで」と思っても、老年になってからパッと止まらず少し行き過ぎることがある。ダウン症は筋力が極端に弱いから、小さい字を書くのは大変なのかもわかりませんね。
 しかし額や屏風に書いた大きな字は〈見事〉でしたね。「夢」「愛」「飛翔」…、そのほか多くの字にその技巧(も素晴らしいが)より、胸に訴えてくる感動を覚えました。

 例に挙げては申し訳ないが、私は芸人KTさんの書には感動できない。訴えてくるものがないのですね。近年知ったのですが、彼はそれを左手で書いているという。
 これは私の感想ですが、右で書いては決して能筆たり得ない。それを隠すため、いっそ左で書いて、「巧拙を論じる以前」のできを狙ったのではないか。そう考え、イラストを見るつもりで眺めると、これも有りか、と思えました。
 書を知らない人はどういう感覚で見て、「Tちゃんの書は素晴らしい」などと言っているのかしりません。しかしそのうち「達筆だ」などという意見が出たら、「エー」というしかないでしょうね。

 いずれにしても、翔子さんの字はもちろんそういうレベルではない。見る人に大きな夢や愛を感動で包んで与えてくれた。そして何より、ダウン症と戦いながら、世界に大きな足跡を印し続けている彼女に、満腔の賛辞を送りたい。
 おそらく生まれつきの彼女の病気を知って、ことに当初のお母さんのご苦労は並大抵ではなかったでしょう。しかしついに大輪の花を咲かせましたね。おめでとうございます。

 帰りは上野公園・西郷隆盛銅像直下の、「銀座ライオン」ビアホールで息抜き。夜のビールが進まなくなるといけないので、ここではエビスの生・ハーフ&ハーフの大ジョッキ2杯で抑えました。しかしこの美味(うま)さは堪(こた)えられませんね!!

翔子1
「金澤翔子 書展」が開催された上野の森美術館

翔子2
NHK大河ドラマ「平清盛」の題字を担当

翔子3

翔子4

翔子5
上野の「銀座ライオン」。午後4時、早いから
空(す)いていました

23日は「ダリ展」と「都展」へ、興味深いダリのキュビスム作品

 23日の勤労感謝の日、東京・乃木坂の国立新美術館と上野の東京都美術館へ行ってきました。国立新美術館では「ダリ展」が、東京都美術館では「第52回都展」が開催されています。ダリ展は相変わらず人気があり、入場まで40分待ちでしたが、ダリの素晴らしい回顧展で感動ものでした。
 
 前回、上野の森美術館でサルバドール・ダリ展が行われたのは、ちょうど10年前でした。今回はガラ = サルバドール・ダリ財団、サルバドール・ダリ美術館、その他のダリコレクションと、日本国内の主要作品がそろい、作品数は約200点。日本では過去最大規模だというのです。
 展示では、ダリが絵画を志したスペインでの少年時代から、アメリカに渡って活躍した最晩年の作品まで、ダリの生涯を追いながらその作品や作風の変遷をたどる展示構成になっています。

 特に、シュルレアリスム(超現実主義)時代だけでなく、まだダリが自身の作風を模索していた青年時代には、キュビスム(キュビズム、キュービズム)やピュリスム、そして印象派の絵画など、あらゆる作風を研究していたことがわかり、大変興味深いものでした。
 キュビスムとはご存知の通り、20世紀初頭にパブロ・ピカソらによって創始された画法ですが、ダリがこの技法を研究していたのは興味をひかれました。アメリカに渡ってから舞台芸術や絵本の挿絵、宝飾品など、活動の幅を広げた作品も見ることができます。

 それともうひとつ、タレントのルー大柴さんがダリ展のポスターに起用されていましたが、そのそっくりぶりが話題を集めていたようです。写真は京都展の折のポスターですが、たしかに酷似していますね。

 都展はS氏夫妻が毎年出品しています。彼らとは6年前、コスタ・ビクトリアによる「日本一周と済州島クルーズ」に参加した際に知り合いました。2人とも秋の都展には出展しているということで誘われ、以来毎年11月23日に出かけています。今年は夫のSKさんが「古き良き時代」と題した草ぶき屋根の古民家を、SHさんは「明日の糧Ⅱ」と題した、これは南米か、あるいはロシアに行った時の思い出でしょうか。
 そのあとは上野の繁華街に繰り出して恒例の飲み会。今度会うのは1年先でしょう、一足早い忘年会といったところでしょうか。

 ところであと一言だけ付け加えさせていただきます。
 前回のブログで朴槿恵韓国大統領の支持率が5%まで低下し、絶体絶命の崖っぷちできゅうきゅうとしている様子を書きました。新しい情報によると、支持率はついに4%になり20代、30代では0%という悲惨な状況らしい。
 また検察が「ほぼすべての容疑で朴大統領も共謀関係にある」と発表したためか、退陣を求めるデモも150万人に達し、与党議員も賛成に回ったことから大統領が弾劾される可能性が強まったという。

 これは他国の内政問題なのですが、大統領が変わったら、日本が10億円を拠出した「慰安婦問題」はどうなるのか。捏造問題で騒ぎ立てる韓国に対し、私流にいえば“思いやり予算”でしょう。ところがこの国は、朴氏が辞めたら「国会が承認していない、慰安婦が納得していない」と、またまた騒ぎ立てるのではないか。そうやりながら、絶対に10億円は返還しませんよ。
 これを日本語で「やらずぼったくり」という。こんな国とまともに話ができますか。どうなるか、よく観察していきたいと思っています。

1ダリ展
乃木坂駅改札口から国立新美術館入口に通じる通路があります

9ダリ展
ダリとルー大柴、よく似てますね
(写真は「Yahoo! 検索(画像)」から)

10ダリ展
暮れ泥む東京都美術館、ここで「都展」が開催されている

2ダリ展
上野公園の銀杏も黄葉しています

3都展
SKさんの作品「古き良き時代」

1都展
SHさんの「明日の糧 Ⅱ」

4都展

2都展

5都展
イルミネーションに彩られた上野公園内の道

「餌場の鯉」と題した大作、大調和展で知人の画を鑑賞

 6月4日、上野公園の東京都美術館へ「第55回大調和展」を見に行ってきました。毎月、埼玉・上福岡で飲み会を開いていますが、そのメンバーの1人Y女史から「油絵を出品したので見てほしい」という話があり、出かけたのです。大調和展の展示は1階の第1・第2・第3展示室です。力作も大変多かった。都美術館の周囲も、「若冲展」で3時間半待った時とは様変わり、閑散? としていました。

 今回、この展示会の存在を初めて知りましたが、歴史があるのですね。
 第1回展は昭和2年11月に、武者小路実篤の提唱で上野の日本美術協会で開催。審査委員は犬養健(小説家、政治家。第2・3台法務大臣、首相・犬養毅の三男)、高村光太郎(彫刻家、詩人)、実篤、梅原龍三郎(洋画家)、佐藤春夫(詩人、作家)、岸田劉生(洋画家)そのほか大勢の、驚くべき高名な人たちが連なっていた。

 第2回展は里見弴(小説家)を審査委員に加えたが、戦前はこの回で解散となった。
戦後の「復活第1回展」は昭和37年2月、武者小路実篤を会長として東京都美術館で開催された。設立委員には今田謹吾、内田豊など多数の中に、劉生の娘で「麗子像」のモデルになった岸田麗子が加わっていたのも縁を感じました。彼女は15歳で父と死別していたのですから。

 会場には武者小路実篤、岸田麗子の作品も多く展示されていました。
 Y女史の絵は「餌場の鯉」と題したなかなかの大作でした。私が以前歩いていた散歩コースに人工河川があり、餌を持って行ってはそこに棲みついている鯉に与えていました。Yさんの絵は餌に集まる鯉を躍動的に描いているのはよくわかるが、全体をとらえようとし過ぎている印象でした。餌に群がる姿をアップで、もう少し明るい色彩にしたらよりよかったのではないか。水の質感は大変よかったと思いましたね。ただこの論評が的外れなら迷惑をかけるから、これ以上書くのをやめます。

1大調和
第55回大調和展が開催された東京都美術館

10大調和
特別出展された武者小路実篤氏の作品、ほかにも数点あり

6大調和
「餌場の鯉」と題したY女史の作品

11大調和

2大調和
なかなか力作ぞろいでした