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日本のODAを素直に喜ぶ親日国、若い力溢れるベトナムの未来に期待

 (前回の続き)
 ともかくベトナムはバイクが多い。以前ホーチミンを訪れた時は驚きました。昼間はもちろんですが、夜も走り回っている。ことに目的もなさそうなのです。
 宿泊ホテルの前が大きなロータリーになっていたのですが、そこを4列にも5列にもなりながら、若い子らのバイクが疾走しているのです。ほとんどが恋人らしい女性を後ろに乗せている。

 それを見て私の頭に浮かんだのは、水族館で円筒形をしたアクリルの水槽の中を、竜巻のように回りながら群れをなして泳いでいるイワシの大群でした。
 「彼らはどうして同じところを回っているのか」。私はガイドに聞きました。理由は、ホーチミンは夜になっても暑い。ほとんどの家庭にはクーラーがないが、バイクで走っていると涼しいからだというのです。

 ハノイもホーチミンに負けないぐらいバイクも車も多い。道路を横断するのが大ごとです。信号がほとんどない地区が多いし、あっても何百メートルも歩かなければならないからそんなことをする人はいない。
 ではどうやって横断するのか。クルマの洪水の中を、「左右を見ながらゆっくり渡る」のです。すると車が止まってくれる。急いで渡ると止まるのが間に合わないから轢かれてしまう、というわけです。夜は不安ではないのかね?

 道路に横断歩道のペインティングがあっても効果はない。たまたま信号のある交差点でも、バイクは赤信号でスピードを上げて中に入り、他の車両の様子を見ながら進む。
 現地係員のHさんは、「法律は有るけど、皆が違反するから守る人はいない」と笑っていました。

 ベトナムは正式国名からわかるように社会主義国です。すでに社会主義と資本主義は勝負あったと思っている私には、いまだに社会主義に拘泥する意味が分からない。しかしこの国、現在は経済に大変力を入れているらしい。
 かつて鄧小平が「黒い猫でも、白い猫でも、鼠を捕るのが良い猫だ」と発言をしたのは有名です。社会主義国でも資本主義の分野に進出して、経済活動に力を入れていく。それでいいのかもしれない。

 今ベトナムには若い力がみなぎっています。この国の将来を示唆するようです。中国に延々と支配され、フランスにも100年植民地にされた。しかしそこからは恨み節は全く聞こえてこない。
 国家が立ち行かなくなり、100万人の署名を集めて合邦を請願しながら、100年経って「植民地にされた。賠償せよ」とごね得をたくらむ国とは何たる違いか。

 車で大きな橋を通過するとき、Hさんは「立派な橋でしょう。日本のODA(政府開発援助)で造ってもらいました」と喜んで語っていました。べトナム国民はみんな親日的だ、とも言っておりました。アジアにはこういう国が多いのです。
 一方うその上塗りを重ねて、日本の信用を落とすことに喜びを見出すような輩とは、なるべく交流を持たないことが大事でしょうね。(終わり)

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小さな島にある巨大な鍾乳洞。島自体も桂林と同じく
石灰岩で成り立っているようなので、鍾乳洞が多いか
もわかりませんね

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穏やかなハロン湾の夜明け

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海の桂林という表現がドンピシャでは?

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ハロン湾でいちばん大きいカットバ島、唯一の診
療所もあるそうです

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道にあふれるバイクをご覧ください。実態はこんなも
のではありません

台風騒ぎは何だったのか! 出航と同時に雲が切れて一天晴れ渡る

 (前回の続き)
 ハノイ滞在中はもちろんですが、現地係員のHさんは3日間のクルーズにも乗船。自分のキャビンナンバーを知らせて常時連絡がつくようにしているのです。
 運転手はハロン湾そばのホテルで待機、いつでも車を出せる準備をしておくらしい。スルーガイドというそうです。旅行社によって呼び方は違うかもわかりませんが、昨年の台湾旅行と同じ方法です。

 ハノイに1泊した翌日、車でハロン湾に向かいました。途中、小休止をとって約3時間半。後半の1時間ほどは豪雨と言っていいほど激しい雨になった。一時的なスコールかは私らには分からない。クルーズ参加者が集まった待合所から乗船する時に、係員から全員にかっぱが手渡されました。
 ところが船に向かって歩き始めると、雨がやんでしまつたのです。このあとは降ったりやんだりで、日が射す時間もかなりありました。私らが水上生活者の集落を訪ね、現地の女性が漕ぐ小舟に乗って遊覧していたときなどは、絶対に降らなかったのが不思議です。

 乗船客はたしか26人でした、それに対して船の乗組スタッフは船長以下46人です。甲板に集めたスタッフ全員から自己紹介を受けました。これでコストパフォーマンスが成り立つとは大きな驚きです。
 ハロン湾には2千余の島や岩があるそうです。夜の帳(とばり)が降りようとするころ、私は船のデッキでビールを味わっていました。島影の雲が赤く染まり、暮れ泥(なず)まんとする中にいると、無骨な老生もつい感傷的な気分に浸ってしまいます。

 現実的な話に戻りますが、このクルーズの参加者は妻と私、Hさん以外は全員が年配の白人でした。彼らが何事にも積極的に参加して、楽しもうという姿勢は見上げたものです。
 前日、春巻の作り方の講習がありました。そのあと3人の女性に呼びかけ、作り方を競わせた。誰がいちばん早く、美しく作れるかというのです。続いて男性。
 女性の勝者、男性の勝者にもう1人を参加させ、3人でチャンピオンを決めるという。そのもう1人に妻が選ばれました。白人以外の女性で珍しかったのでしょうか。

 調理台の前に3人が揃う。最後に競うのは、なんと片手で春巻をまくのだという。合図とともに開始。いちばん早かったのが妻。そのあとは女性、男性の順。出来上がった作品?を順次全員に示し早さ、出来上がりの美しさで挙手を求めた。やはり妻がトップだった。

 「ユー、チャンピオン!」
 女性に対しては「コングラチュレィションズ」とは言わないと聞いたことがあります。ことに結婚式では法度だとか。
 この夜は前日の春巻製作競争?の表彰式をやるらしい。妻の名前が呼ばれた。招かれて進み出ると、何とかシェフ?の認定証と帽子、エプロンの授与です。
 エプロンを着け白く長い帽子を被らされた妻が、認定証を高くかざすと皆が本気で盛り上げるのです。単純なようですが、年をとったらそれでいいのでしょう。

 この日の昼間、希望者はシーカヤックをやった。転覆してずぶ濡れになっては敵わない。私は参加を断りました。
 ところが白人は年も顧みず?参加する者が多かった。ずぶ濡れを想定してか、女性もTシャツ、短パン、ビーチサンダルです。カヤックの扱いはなかなか上手で転覆しない。やがてパドル(かい)で水をかけあって騒いでいた。楽しむことには実に貪欲な人種ですね。(続く)

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キャビンの窓から。開けるとバルコニーになっています。これから
2泊3日のクルーズの始まりです

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クルーズは昼食から始まりました。旅行に
出ると、つい飲み食いが過ぎる

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台風で大荒れと思っていましたが、湾内はベタ凪です

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水上生活者の集落。 ハロン湾の水上で生まれ、生涯を 終える人たち
です。最近は政府の規制が厳しく、陸上に家を与えて移住させつつあ
るという

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夕闇迫るハロン湾、台風騒ぎは何だっだのか?

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ベトナム・ハノイへ6日間の旅、「海の桂林」ハロン湾をクルーズ

 9月17日から22日までの6日間、ベトナム・ハノイを旅行しました。10余年前に友人とホーチミンへ行ったことがありますが、今回はハノイに近いハロン湾でのクルーズが主目的で、妻との2人旅です。

 ところで私が帰国する前日、驚くことがありました。21日午前10時、ベトナムの大統領(国家元首)が亡くなったという。62歳だそうです。私がハノイから日本に向けて飛び立ったのは22日0時35分ですから、帰国する当日の出来事と言ってもいいでしょう。今年5月には国賓として来日した方です。御冥福をお祈りします。

 旅の話の続きです。ベトナムは南北が2000キロにも及ぶ細長い国。ホーチミンが常夏なのに比べ、1800キロも北に位置するハノイには四季があります。
 ご存知のようにハロン湾は世界遺産に登録された景勝の地。2千余の島や奇岩を擁する風景は、「海の桂林」といわれる景勝です。
 このハロン湾クルーズ、実は3年ほど前に旅行代理店に申し込みました。費用の全額を払い込み出発を待っていた時、新しく世話になることが決まった泌尿器科医に前立腺肥大の手術を急ぐといわれ、「旅先きで尿閉になったら大ごとだ」との警告に従って、急きょ取りやめたのです。

 今回の旅行も3ヵ月前には申し込み、すべてをすませて当日を待っていました。フライトが朝10時ですので、8時には旅行社の空港カウンターで搭乗券を受け取り、出国手続きをすませるつもりでした。
 朝が早いため成田で前泊です。空港の敷地内にある唯一のホテル、「成田エアポートレストハウス」が確保できました。部屋が広く掃除が行き届き、好感がもてるホテルです。朝は空港のターミナルへ、30分間隔でシャトルバスを出しています。所要時間はわずか5分。

 老夫婦の旅行です。前回の台湾一周旅行から、飛行機はビジネスクラスと決めたのが正解でした。この日もエコノミーは長い列ができていましたが、私らは受付カウンターでも待たずに手続きができました。保安検査場(ボディサーチ)も別の入り口から行けます。出国審査を受けるとその足でラウンジへ向かいました。

 成田空港には今回利用するベトナム航空のラウンジがないので、デルタ航空を利用させてもらいました。そこでビールを飲み始めてほっと一安心、飛行機が飛ぶという実感を得ることができたのです。
 実は台風22号が猛烈な規模でハノイを襲うという気象情報でした。成田を飛び立ってもハノイに着陸できないのではないか。まして台風の影響で波浪が高く、ハロン湾では船が出航できないだろう、というのが心懸かりでした。

 2日前には、まだ飛ぶかわからない状況。旅行代理店の担当者の話では、最悪の場合は飛ぶかどうか当日空港で決まることもあるという。
 妻は「せっかく休みをとったんだから、外国がだめならデラックスな国内旅行にしよう」と鹿児島の雅叙苑や、和倉温泉の加賀屋を検討しはじめた。加賀屋は17・18の両日、スイートルームが空いているというのです。

 「今キャンセルしても2割ほどしか返金にならない。催行中止となれば後日、全額返金になるはずだから、ハロン湾クルーズの最終方針が決まってから国内のことを決めよう」
 私の話に、妻も納得したようです。ですから、出国審査を終えた時はほっとしたというのが正直な気持ちでした。
 飛行機は約1時間半遅れで出発です。遅れた理由は、中国の飛行機が何機か上空で待機しているからという理由でした。

 ハノイ・ノイバイ空港にはおよそ1時間半遅れで到着。出迎えた現地係員Hさんの話ではフィリピン、マカオ、香港に大きな被害をもたらした台風22号は、急きょ北へ進路を変えてハノイを外れたというのです。
 この日の宿泊はホテル・ニッコーハノイ。日系ホテルのほうが、なにかと便利かとここに決めました。私ら夫婦2人のベトナム滞在中は、現地係員のHさんと運転手が通して世話をしてくれます。(続く)

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成田にはベトナム航空のラウンジがないので、同じスカイチーム
のデルタ航空のラウンジを利用。アルコールはビール、ワイン、
シャンパンなどなんでもあります

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ベトナム航空の朝食。和食を頼んだがこれ
は前菜です。この後メインが出てきます

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ニッコーハノイのロビー、結構広々としています

秩父の湯の宿「和どう」で正月を、黒谷は「和同開珎」発祥の地

 大晦日と元旦の2泊で、埼玉県秩父の和銅温泉へ行ってきました。正月といっても、我が家を訪(とぶら)う人もない妻と2人の侘(わ)び住まい。そこで妻が脳出血で入院したのを機に7年、近くの温泉に出かけて旧年を送り、新年を迎えるのを習わしにしてきました。例年、温泉につかり、観光スポットなどを仲居さんから教えられれば行ってみる程度でしたが、今年は倅(せがれ)が加わったので多少賑やかでした。

 最寄駅は秩父鉄道の和銅黒谷(わどうくろや)駅。ここは和同開珎(わどうかいちん)の発祥地として有名だそうで、ホームには貨幣のモニュメントが設置されていた。
 かつて武蔵国秩父郡で、銅鉱石が発見された。当時、日本でいちばん必要な和銅が出たことを喜んだ朝廷が、それにちなんで和銅元年に改元したという。記念して発行された貨幣は、年号の「和銅」とは字が異なるが「和同開珎」と名づけられたらしい。

 今回の旅館は「湯の宿 和どう」、全38室という小さな旅館です。私らが宿泊したのは8畳2間続きで、1部屋にはベッドが2台。もう1つの畳部屋にはテーブルが置かれている。38室のうち14室には、広いバルコニーの横に露天風呂がついています。私は露天風呂はあんまり好きではないのですが、女房は大好き。大風呂と部屋の露天風呂を入り比べ、はしゃいでいました。
 旅館では昔、食事を部屋出しするところに人気があったが、最近は時間を予約して、食事処で夕食を摂っている間に布団を敷いてくれところが多くなった。プライベートを守るためか、夕食は個室を用意してくれるのもありがたい。2日とも工夫を凝らした会席料理が出てきた。決して量は多くないが、それでも私は残してしまう。飲料が多すぎるからでしょうか。

 翌元日、暖かく天気が良かったので、朝食のあと駅まで歩き電車で長瀞へ移動した。かつて長瀞の宿に泊まっていたとき、量が多くて驚いた蕎麦屋があった。面白半分、倅をさそって入店。その天ぷらそばが写真です。エビは2本だけ、あとキスの天ぷらがあったか。そのほかは野菜が山盛りだったのですが、若さですね全部食べてしまった。

 そのあと「長瀞の川下り」をしようという話になった。かつて社労士会で静岡方面を旅行したとき、大井川で船に乗った。しかし退屈極まるライン下りでした。途中、船頭さんが「埼玉から来た人が、わざわざこんな船下りをしなくても、長瀞の川下りが面白いでしょう」と。
 長瀞は急流の箇所へ近づくと、水しぶきがかからないように、船頭の合図で船べりに伏せていた長いビニールをいっせいに持ち上げた記憶がある。
 ところがこの日の長瀞は晴天続きで水嵩が少ないため、川下りでは急流で岩にぶつかるから危険だと中止になっていた。代わって乗ったのは近辺を一周する炬燵(こたつ)船。それなりの風情があったし、倅はそこそこ喜んでいた。

 瞬く間に過ぎた2泊3日でしたが、晴天に恵まれ暖かくて助かりました。天気概況によると、秩父は川越方面より5、6度気温が低かった。用意万端整えて行ったが、肩透かしを食ってしまいました。そのせいか、帰宅してからの寒さは身に応えましたね。
 帰宅後倅から私宛に、宅配便で日本酒を送ってきた。妻にはメールで、「楽しかった」と伝えてきたらしい。「カネもないのに無理をするな」と言いたかったが、妻から「素直に喜んでやって」と「牽制?」されたことでもあり、とりあえず「感謝」の電話をした。親父の立場も難しいものだ。

和どう - コピー
湯の宿 和どう。温泉もいいし食事も美味い、
そこそこの旅館でした

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宿の最寄り駅、和銅黒谷は和同開珎の発祥の地、駅
のホームには巨大なモニュメントが設置してある

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メガ盛りの天ぷらそば。テレビでも紹介された
らしい

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元旦、人影も少ない周回船乗り場付近

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ライン下りと岩畳(特別天然記念物)が有名な長瀞渓谷

霧雨にかすむ夜明けの日月潭、後ろ髪を引かれる思いで台湾を後に

 (前回のつづき)
 3日目は朝から高雄の見どころを案内された。そのあと台南へ。そこでは孔子廟、鄭成功像と鄭の屋敷跡、赤嵌楼(せっかんろう=この地がオランダ領のときの城)などを見学。台湾もそれなりに歴史のある地域ですから、神社仏閣も多い。ガイドに予定コースから寺社をカットしてもらった。
 「他の信仰をしている」という私の話に、彼は「私はキリスト教をやっている。だから仕事でキリスト教関係のところへ行っても、詳しい説明をしない。お客さんに聞かれると、キリスト教をやっているから」と、はっきり言うことにしていると話していた。

 この日は日月潭(にちげつたん)で宿泊。ここは台湾最大の湖でもっとも風景がいいとされる場所です。ことに湖面の色が刻々と変化する夜明け頃が最も美しいらしい。建設会社を経営している知り合いも、この景色を絶賛していました。
 ところが夕刻に近づくにつれて、だんだん空の雲が厚みを増してきた。「おい、おい。そんなはずはないだろう」というのが私の実感でした。
 夕食はホテル内の寒煙翠で台湾料理が振舞われた。VIPということで、一般客を横目に別の部屋へ通されたが、まったく意味が分からなかった。あるいは宿泊する部屋のランクで分けているのか? あんまりいい趣味じゃないね。

 翌朝、夜明けとともに目を覚ますと、部屋の窓から見渡す湖面は濃い霧に覆われている。台湾一と言われる日月潭の眺望ですが、残念ながら大自然相手だから仕方がない。
 朝食はホテル屋上のスカイラウンジ。同行ガイドの案内でテーブルにつく。流れる霧が濃くなると湖はまったくみえない。薄くなってくると、徐々に湖面が明るくなり、島が見え、対岸の山影が明らかになってくる。
 肌寒いなか、私は冷えた台湾ビールを定番のごとく飲んでいた。妻は身体が暖まるものをということで、紹興酒を頼んだがラウンジには置いていない。そこで熱い豆乳をもらい一息ついていました。

 食事の用意が進むうちに、霧雨が降りだした。あれ? 2人は晴れ男・晴れ女ではなかったのか?? しかし妻も私もいわば半病老人、若いときと違ってパワーが失われてしまったようだ。
 ところが、食事を終えて部屋に戻ったころには、すっかり晴れあがった。湖面を一望できる部屋の窓とバルコニーから、何枚か写真を撮ってみました。「台湾は最後」と思った今回でしたが、何か後ろ髪が引かれる思いでした。

 日月潭を後に車は台中へ。ここから台湾新幹線で台北へ戻りました。新幹線というのは日本人向けの言葉で、台湾では高速鉄道という。
 昼食は台北の鼎泰豊で小籠包や点心などの昼食。ここの小籠包は美食家たちの評判を呼び、新聞や雑誌のグルメコーナーでも紹介される人気レストランに。1993年にはニューヨーク・タイムズ紙で「世界の人気レストラン10店」の1つに選ばれ、一躍知名度が上がり、台湾国外からも多くの観光客が来店する世界的なブランドになったという。
 私が初めて台湾に行ったとき昼食に連れられたのがこの鼎泰豊。日本にも何軒も出店しています。

 そのあと台北101、中正紀念堂(初代総統・蒋介石の顕彰施設)、総統府、忠烈祠(衛兵交代式見学)などの予定があったのですが、妻が疲れてしまったのでキャンセル。宿泊のロイヤル・ニッコー・タイペイで一休みしました。
 夕方5時、ホテルのロビーでガイドと待ち合わせ。この日の最後は故宮博物院の見学と、その敷地内の故宮晶華で創作料理の夕食です。

 故宮博物院のもっとも有名な宝物(ほうもつ)は三大至宝と呼ばれています。日本でもよく知られているのが、翠玉白菜(すいぎょくはくさい=ヒスイを虫がとまった白菜の形に彫刻した美術品)と肉形石(豚の角煮)、もう1点は絵画です。この日は白菜と角煮はスルーして、その他の美術品・宝物をガイドの的確な解説で、30分ほど鑑賞することができました。
 故宮晶華の創作料理にこの白菜と角煮が出てきたのには笑いましたね。創作料理ですから、それはそれでいいのではありませんか。写真をご覧ください。

 いずれにしても楽しい旅行でした。成田空港でも桃園空港でも、搭乗までJALのラウンジで美味いビールを堪能できたのがよかった。(おわり)

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オランダ統治時代のお城、赤嵌樓

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鄭成功議和団の像

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成功大学のキャンパスにあるガジュマルの木

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スカイラウンジで朝食。せっかくの日月潭の絶景が霧の彼方に

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朝食が終わったころに、すっかり晴れてきた

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台湾新幹線で台中から台北へ

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故宮博物院の敷地にある故宮晶
華の創作料理。上は翠玉白菜、
下は豚肉の角煮。なかなか面白


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帰りの機内食で締めくくり
プロフィール

村 岡 長 治

Author:村 岡 長 治
出自:兵庫県姫路市
現在:埼玉県富士見市
仕事:特定社会保険労務士、行政書士

筑波大学付属駒場高等学校卒業後、早稲田大学理工学部に学ぶが、家業を継ぐため学業途上で帰郷。
現在、川越・ふじみ野・富士見方面で、社会保険労務士・行政書士業をやっています。

「村岡労務行政事務所」のホームページもご覧ください。

両士業の支部内で、勉強会などを持てるといいと思っています。信頼できる同志との連携を深めたい。

お客様とは互いに信頼でき、長続きする関係を築いて行きたい。

趣味は酒、旅行、絵画・音楽・書の鑑賞など。子供たちも独立して、いまは夫婦2人です。

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