縄文水は硬度10の超軟水、屋久島山中でスマホの時計が一時間遅れた

 屋久島の話をここまで引き延ばして書くつもりはなかったのですが、屋久杉も、これから書こうとしている縄文水も、私にとっては感動的なことでしたのでぜひお伝えしたいと考えました。そのあとはアンビリーバブルな体験です。興味がない方はどうぞスルーしてください。

 水には硬水と軟水があることはよくご存じだと思います。水道水をはじめ、日本はどこへ行っても飲み水はほぼ軟水です。
 水の硬度というのはマグネシウムとカルシウムが1リットル当たり何㎎含まれているかを表す指標です。

 WHO(世界保健機関)の基準では、硬度60未満の水を軟水、60㎎~120㎎未満の水を中程度の硬水、120㎎~180㎎未満を硬水、180㎎以上を非常な硬水といいます。
 ただし日本での一般的な定義は100㎎未満を軟水、100㎎以上を硬水というそうです。
 私が住んでいる埼玉県は水道水の硬度が75です。東京都65、鹿児島県48、最も硬度が高いのは沖縄県の84です。日本では、硬水に巡り合うことは余程意識していないとあり得ないのではないでしょうか。

 軟水は、
・口当たりが柔らかく、さっぱりしていている
・緑茶を入れる際に色や風味が出やすい
・旨み成分を引き出しやすく、煮炊きの多い日本料理に適している
・石けんや洗剤が泡立ちやすい

 硬水は、
・のどごしが硬い反面、しっかりした飲みごたえを感じる
・緑茶を入れる際に色や風味が出にくい
・肉を煮るときなどにアクが出やすいが、和風料理には適さない
・石けんや洗剤が泡立ちにくい

 言葉にすると分かりにくいと思いますが、日本人には軟水が合うといわれています。硬度の高い硬水を飲んでみると、「水が硬い」という実感を得ることができます。10年も前になるでしょうか、中欧を旅行した時です。レストランで出された水を、妻に「味わって飲んでごらん。硬さが分かるから」というと、飲んで納得、驚いていました。

 例えば「アルピナ ピュアウオーター研究所」のサイトには、こんな文章もあります。
 「日本の天然水の硬度は高くても100程度となっているのに対して、海外の天然水は300程度が基準となっており、なかには1500にも及ぶものがあります。その分多くのミネラルを摂取していることになりますので、どうしても身体に影響を及ぼしてしまうのです」

 前置きが長くなり過ぎました。
 実は屋久島のホテルで食事のときに出された水がものすごく柔らかく、飲んで口の中で自然に溶けて吸収される感じなのです。こういう水は飲んだ経験がない。従業員に聞くと、屋久島の山からの水で硬度が10。「縄文水」というそうです。

 さっそくこの水で、屋久島の三岳(みたけ)焼酎のお湯割りを作ってもらった。三岳焼酎はホテルのメニューにはなかったのですが、要望で作ってくれたのです。マイルドで実にうまい。スーッと喉を通り過ぎるのです。妻は感激して、縄文水1ケースを宅配便で川越の仕事場に送っていました。知り合いに「ぜひこの美味しさを体験してほしい」というのです。
 今回図らずも飲料水の珍しい体験ができましたので、ぜひお伝えしたいと思って書きました。


 それからもうひとつ。信じられないことがあったのです。証人は妻と私、そして屋久島交通タクシーの I さんというドライバーです。
 屋久島のホテルに到着したのは夕方。翌日はタクシーを頼み、島の主だったところをめぐりました。翌々日はガイド付きの観光バスを予定していたので、それを省いたコースを回ってもらったのです。

 いろいろ興味深いところも多く、それなりに満足でした。
 半日(4時間)の予定で、朝9時にホテルを出発した。しばらく経った時、私はふと「まだ2時間は経っていないだろうな」と思い、時刻を確認しました。iPhone7Plusを時計の代わりに使っています。
 ところが私のスマホの時刻は9時40分を少し過ぎているのです。
 自分の感覚とは1時間ほどずれている。私は「頭がおかしくなってしまったのではないか」ととっさに考えました。隣の妻に「スマホを見せて」といって確認すると、私のスマホと同じ時刻なのです。

 「1時間も時間の感覚が違ったのか、しかしそれは信じられない」と、何分かの間、私はさらに考え込んでしまいました。「1時間半以上経ったと思っていたのに、まだ40分しか経っていない?」。私は、頭脳の感覚がおかしくなったのではないか、と自信を失いかけた。
 そのとき、ふと運転席の右横をシート越しに見ると、デジタル時計が設置してあった。それは私らのスマホのちょうど1時間後を指しているのです。スマホが9時51分、運転席のデジタル時計が10時51分でした。

 「スマホの時刻がちょうど1時間遅れている。出発のときは合っていた。どうしたのだろう」
 妻は「(富士の)青木ヶ原樹海と同じじゃないの」と言います。青木ヶ原樹海では方位磁針が使えない、車の計器や放送機器に異常が発生する、などと言われています。俗説かどうか知りませんが、そのことを指しているのです。
 ドライバーが自分のスマホを示しました。私らのとは違う器種ですが、正確に10時51分を示していた。しかし1時間ジャストの遅れというのも不思議ですね。ドライバーに勧められて電源をいったん切って入れ直してみたが、まったく効果がなかった。

 「帰宅したら、iPhoneショップでセットし直してもらわなければ」。ところが山から下りてきた時点で、私と妻のスマホの時刻が正常に戻ったのです。ドライバーの I さんは、「ホテルに帰ると直るだろうとは思っていました」と言った。しかし私にとっては訳が分からない。それも夫婦のスマホともちょうど1時間遅れる、これはどういうことでしょう。

 まことに長々と書きまして、申し訳ありません。私の70余年の経験になかったことですので、ついついお伝えしたくなりました。

縄文水

種子島宇宙センターと鉄砲館を見学、海蝕洞窟・千座の岩屋もみごと

 屋久島の西之表港から鹿児島本島南埠頭まで1時間55分、連絡船はジェットフォイルなので、昔と比べるとかなり時間が短縮されています。
 日本は海洋王国ですから、本島と離島、離島どうしを結ぶジェットフォイルはなくてはならない存在です。28年ほど前、川崎重工が米ボーイング社の製造・販売権を得て現在まで15隻を製造。ボーイング社の5隻と合わせて20隻が日本で活躍しているそうです。

 航空機のジェットエンジンは、吸い込んだ空気をコンプレッサで圧縮し、燃料と混合して燃焼させた高温高圧ガスを噴射することで推進力としています。
 これに対してジェットフォイルは、海水をジェット流として高圧噴射し、その推進力で水中翼を持つ船体を海上に浮き上がらせ、速度45ノット(時速約83km)で航走させるのです。
 初期のジェットフォイルは、そろそろ船体に耐用年数が訪れようとしています。ところが川崎重工には、今のところ建造を続ける予定はなさそうなのです。5隻程度のロット需要が見込めなければ建造体制を組めないと言っているらしい。ジェットフォイルは連絡船としてだけではなく、災害時にも活躍します。極めて残念と言わねばなりません。

 それはさておいて、宿泊の種子島いわさきホテルはド派手な真っピンクの外装。センスがいいとは言いがたいのですが、どうして、客室も広く全室オーシャンビュー。レストランも窓際が全面ガラスで景観は言うことなし。落ち着いた雰囲気のいいシックなホテルです。
 つい先日まで盆休みでもありたいへん混雑していたらしいが、この日はレストランで顔を合わせたのは私ら2人以外に名古屋からの1組だけ。借り切ったような感覚でした。

 いわさきグループは鹿児島県を中心に、ホテル事業だけではなくバス事業、フェリー事業、高速船運航事業、ゴルフリゾートから白露酒造の酒類製造・販売。その他数限りない事業を手掛けています。
 このグループのホテルは今回の屋久島と種子島しか利用したことはありませんが、従業員の教育もたいへん行き届いている。この日の疲れは生ビールと白露焼酎で癒しました。

 翌日はいよいよ最終日。朝から残暑厳しい晴天でした。
 初めに向かったのが門倉(かどくら)岬。ここから南の喜界島に直線ラインを引くと、岬から海に向かって右手側(西側)が東シナ海、左手側(東側)が太平洋。ここで2つの海に分かれているのです。
 また鉄砲伝来の地でもあります。難破した南蛮船にいたポルトガル人による、鉄炮の実演を見た種子島の島主・種子島時堯が、そのうち2挺を購入し刀鍛冶の八板金兵衛らに命じて研究させた。これが我が国の鉄砲の始まりです。いろんなエピソードが残っていますが、骨子はこんなところでしょう。

 次いで案内されたのは種子島宇宙センター。総面積約970万平方メートルにおよぶ日本最大のロケット発射場です。地球の自転を利用したロケット打ち上げは赤道に近いほど有利らしいが、種子島は日本の最南端ではありません。
 同島より南の小笠原は、センター建設の前年に返還になったばかり。沖縄返還はまだ実現しておらず、日本の主権が及ぶ最南端に近い種子島ということで選ばれたものです。
 世界的には広大な原野に発射台等の施設を建設することが多いのですが、種子島宇宙センターは緑の山の中にあり、発射台はサンゴ礁に囲まれた岬の突端近くに設置されており、その絶景から「世界一美しいロケット基地」と呼ばれているのです。

 このあと「千座(ちくら)の岩屋」に行きました。
 種子島の東海岸は、太平洋の荒波に洗われてできた海蝕岩が見られます。なかでも、波に浸食された奇岩の広がる浜田海浜一帯にある岩屋は種子島最大の海蝕洞窟で、中には千人が座れるともいうことからこの名がつけられたということです。
 洞窟に入ることができるのは干潮時のみで、その前後2時間です。自然が作り上げた美しさは幻想的な雰囲気も漂い、沖合にちらばる岩礁と相まって景観を誇っています。

 鉄砲館もよかったですね。種子島の歴史、民俗、自然を実物資料やジオラマ、写真などで紹介しています。種子島は鉄砲の伝来地であると同時に国内で初めて火縄銃を製作した地です。ポルトガルの初伝来銃をはじめ、国産第1号銃や国内外の古式銃約100点を展示してあります。
 館の管理、運営は西之表市教育委員会社会教育課文化係が行っているということですが、なかなか見ごたえのある展示館でした。

 この日、午後3時発のジェットフォイルで鹿児島本港に渡り、鹿児島空港から羽田まで。あっという間に終わった小旅行でしたが、屋久島も種子島も、来てよかったというのが実感でした。

種子島1
ド派手なピンクの外装、しかし内部はなかなかシック
で落ち着いている。種子島いわさきホテル

種子島1-1
レストランからの景観もなかなかのものです

種子島1-2
夜はプールをライトアップ

種子島2
種子島の最南端・門倉岬に建つ「鉄砲
伝来紀功碑」

種子島3
この門倉岬から右手(西)方向は東シナ海、左手(東)方向は太平洋

種子島4
種子島宇宙センター

種子島5

種子島6

種子島7
宇宙ロケットのエンジンが展示されている

種子島10

種子島15

種子島14
千座(ちくら)の岩屋です。干潮時の前後2時間しか中へ入
れない

種子島16
鉄砲館(上)と展示の鉄砲
種子島12

種子島17

種子島11
恥ずかしながら少年時代にタイム
スリップした小生の写真も1枚

眼前にした巨大な紀元杉、雨も私らの行く手を避けたようだ

 3日から7日まで、屋久島と種子島へ行ってきました。東京で1泊、屋久島2泊、種子島1泊で妻同行の小旅行です。羽田発のフライトが早朝(といっても8時05分発ですが)だったので、空港近くのホテルで前泊。朝はホテルのバスが空港まで送ってくれるので助かりました。屋久島は妻が昔から行きたかった所らしい。私はむしろ種子島に興味があったのです。

 屋久島には、ひと月に35日雨が降る、という言葉があるそうです。「うまい表現だ。誰が言ったのだろう」と考えていました。これは林芙美子が「浮雲」のなかに書いた言葉らしい。屋久島では、彼女が執筆のために宿泊した旅館がまだ営業しています。島の人たちからも、雨ばかりだと聞きました。年間降雨量は全国一だとか。
 そんな雨の多い島ですが、天候に関してはそれほど気にしていなかった。私らは俗にいう晴れ男、晴れ女なのです。国内外を合わせると、旅はこれまで百回を超えて行っていると思いますが、雨に降られた経験がないのです。

 今回、屋久島の港へ迎えに来たガイドがホテルへの車中、「このところ珍しく何日も晴天が続きましたが、今夜から荒れるそうです」と言っていました。
 私らが宿泊したのは、屋久島いわさきホテル。和室を予約したのですが、広々とした明るい快適な居住空間です。妻は「『旅サラダ』だったか定かではないが、この部屋、テレビの旅番組で見て一度来たいと思っていた」とゴマンエツでした。

 ところで案の定というか、夕方から豪雨。屋久島の雨は激しいときは、ラッキョウほどの雨つぶになる、と言ったガイドの言葉を思い出しました。夜半からは雷鳴が加わり、そのやかましいこと。翌日は島内観光のため、タクシーを予約していました。3日目はバスで島巡りをしますので、それ以外の場所を回ってもらう予定でした。
 2日目、朝食は7時から。雨は一向に降りやます、タクシーの窓からでも、おそらく何も見えないような状態です。9時の予約でしたが、キャンセルも考えていました。ところが8時に雨が上がったのです。やって来たタクシードライバーの話では、朝、出勤するときいつもの道が通行止めで、大きく迂回してたどり着いたと。後で知ったのですが、この短時間雨量は屋久島でも50年ぶりなのだそうです。

 場所によるらしいのですが、この日、タクシーで動いていると猿と鹿が至るところで見られた。猿は道路に出て相手猿の毛づくろいをしている。そんな姿が、道路にあちこちで見られるのです。
 このときすでに日が射し始めていました。屋久猿は毛が長いので、雨の後は毛を乾かすために樹林の中から日当たりのいいところへ出てくるという。鹿も道路わきに出てきます。屋久猿も屋久鹿も体がとても小さい。
 屋久島を表す言葉に「人2万、猿2万、鹿2万」というのがあるそうです。いちばん多かった頃は人が2万人程度いたらしいのですが現在は1万3000人ほど。猿は4,000~6,000頭、鹿は3,000~6,000頭だといいます。

 屋久島はなんといっても「屋久杉」が有名です。その頂点が、7200年間生き続けてきた「縄文杉」です。これを見に行くツアーがあるのですが、早朝から雨ガッパをはじめ必要装具をリュックに入れ、トレッキングシューズで足もとを固めて出発です。山道をおよそ12時間の超強行軍だそうです。

 3日目、私たちはバスで島内観光。この日のメインは屋久杉ランドの散策(約40分)と、紀元杉を見ることです。これはすぐそばまで観光バスで行くことができます。紀元杉は縄文杉に次ぐ巨大さで、およそ3000年経っているといわれています。宿泊したホテルのロビーに設えられたオブジェはこの紀元杉がモデルだそうで、7千数百万円をかけたという話でした。

 そのあと16時発の高速船(ジェットフォイル)で種子島へ。種子島いわさきホテルには18時過ぎに到着しました。
 次回は種子島についてご報告します。2、3日お待ちください。

屋久島11
部屋からホテルの広大な庭が見える。散策するのに1~1.5時間かかる
と言われた

屋久島12
ホテル・ロビーに紀元杉をモデルにした巨大オブジェを
展示

屋久島20
屋久島18
屋久島19
刻々と変わる天候に合わせ、その表情を変
える自然。部屋から尾之間三岳(おのあい
だみたけ)を望む。中央の高い部分がモッ
チョム岳。写真にはないが、左に耳岳、割
石岳と続く

屋久島14

屋久島17

屋久島13

屋久島23
滝が直接海へ落ちるのは世界でも珍しい。日本ではここ
屋久島と、知床にある滝だけ

屋久島21
千尋(せんぴろ)の滝、大川の滝とともに
屋久島の景観を彩る

屋久島16
豪快な水しぶきを上げる落差88メートルの大川(おお
こ)の滝、日本の滝百選にも選ばれている

屋久島15
三千年を生き抜いた紀元杉。撮影ポイントが狭いので、見上げ
るかたちになり全体を撮影しにくい

取り立ててめでたくもない喜寿の宴? 初夏のXIV蓼科で命の洗濯

 10・11日の両日、一泊で蓼科高原(長野県)へ行ってきました。同行したのは妻と息子。私はこの6月、喜寿を迎えます。若い時からこんなに長生きをするつもりはありませんでしたので、少々戸惑っています。
 そんな中、「喜寿を迎えるんだからどこか行こうよ」という妻の誘いと、前立腺がんに罹患して治療方針も確立していない状態の私ですが、もし身罷(みまか)った場合の心構えを、倅にわからせておきたいという思いもありました。

 ただ私自身は、加齢による身体能力の低下は無視できませんが、気持ちは軒昂たるものがあります。倅に対して言いたかったことは、しっかりせよということと、もし私を亡くした後は、母親の気持をしっかり支えていけということだけです。
 取りあえず住まいはありますし、当分は食べてもいかれるでしょう。倅に対しては、腹構えを促しただけ。当然のことを説かれたわけですから、異を唱える余地はなかったようです。

 今回、宿泊したのはリゾートホテル「エクシブ蓼科」。実は同じ(株)リゾートトラストのホテルで近場のXIV「箱根離宮」か「湯河原離宮」を希望したのですが、日にちが切迫していたこともあり、土・日は無理でした。
 「XIV初島クラブ」(熱海)も候補に挙げましたが、予約をお願いした方の「あんまりお勧めできない」という話で取りやめ。倅の仕事の都合もあり、ほかの日程に決め難く、蓼科になったのです。

 残念なことに関東甲信も7日に梅雨入りしました。
 妻も私も、実は大変な「晴れ人間」でした。2人で旅行に行って雨に降られたためしがなかった。前日まで雨の予報でも、当日は晴れあがったのです。
 過去形で述べたのは、妻は6年前に脳出血で倒れいまだに後遺症に悩んでいます。私は今年1月に前立腺の手術をして体調もすぐれない。晴れ人間たちの神通力(?)も徐々に衰えてきたようです。

 天気予報では10日の蓼科高原は雨。この日、チェックインの時間より少し早くホテルに到着、北八ヶ岳ロープウエイの山麓駅までタクシーで20分ほどでした。山頂まで行ったのですが、小雨が降り出したのでさっさとホテルへ戻った。
 部屋はスイート。90㎡を超える広々とした間取りで、リビングにベッドルームと和室が接している。バスルームにはジェットバスとともにテレビも設置、バルコニーはサンルームです。倅は部屋の広さに驚いていた。

 部屋のテーブルには、ホテルの手配を依頼した方から手紙と、銘酒「菊姫」のボトルが置いてありました。私への喜寿を祝う言葉と、「このお酒はお部屋でも、夕食時にレストランへ持ち込んでも、召し上がっていただけます」と書き添えてあった。
 ホテルからは、「‥‥オーナー様よりお酒が届いております。レストランで召し上がっていただくこともできますので、‥‥お楽しみください。エクシブ蓼科スタッフ一同」と書いたカードがあった。「オーナー様」とは、ホテルの手配をしてもらったホテル会員権の所有者のことらしい。彼女にお礼のメールをして、恐縮しながら直ちに3人で乾杯。

 大風呂で疲れを癒した後は夕食。この日は会席料理を予約していた。
 体調がすぐれないといっても、ビールが実にうまい。ことにC型肝炎ウイルスを駆除してからは、前よりいちだんと美味いのです。困ったものだ。飯は私が食さない分を、倅が健啖家ぶりを発揮した。
 日本画家の横山大観翁は後半の50年ほとんど米飯を摂らず、食事は酒と肴(少量の野菜)だけで済ませていたという。たまに食べる時も1粒2粒と米粒を数えるほど。しかし90歳で天寿を全うする2年ぐらい前までは、毎日1升酒を飲んでいたらしい。
 比べるのは恐れ多いが、臨終の近くまで「うまい酒」を飲めるのは何ともうらやましいではありませんか。あやかりたいものです。
 
 今年は正月に有馬温泉へ行ったあと、日大板橋病院で手術をしたので、しばらくはどこへも出かけられなかった。高校時代の恩師の米寿の祝賀会にも行けなかったのが心残りでした。今回は倅を「諭す」という心算だったが、自分が「癒された」感じでした。

 翌日は朝から「梅雨(つゆ)の晴れ間」の超快晴。ホテルの敷地内は歩くにはあまりに広すぎます。しかしその一隅の林の中を、蝉時雨(せみしぐれ)を浴びながら散策しました。まだ蝉の季節には早いと思ってホテルの職員に聞くと、春蝉(はるぜみ)といって、松林に生息し晩春や初夏に成虫になる蝉だという。
 蓼科高原には野生のシカも棲息している。しかしウサギはいないらしい、キツネに食われてしまうからだとか。

 わずか1泊の旅行でしたが、帰ってきて疲れ果てたというのが実感でした。2泊にした方が、あるいは楽だったのか。体力が落ちているのですね。これからは出かける前、少しは身体を鍛えて? おかなければと感じた旅でした。

蓼科1-4

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北八ヶ岳ロープウエイ、上の写真は山麓駅

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妻とせがれを同行してXIV蓼科へ

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部屋には銘酒「菊姫」が待っていた

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翌朝、いつもながらビールが美味い。困ったものだ

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春蝉の鳴き声を浴びながらホテルの庭を散策

蓼科1-16野生のシカ (2)
野生のシカの姿も見えた

正月は神戸港でクルージングに、翌日は姪たちと有馬温泉を楽しむ  

 年末と年始、長らくブログをご無沙汰いたしました。とりあえず私の近況をご報告いたします。
 正月2日から4日まで、妻と神戸方面に行ってきました。
 目的は2つ。ひとつは特別養護老人ホームへ入園した姉を見舞うこと、いまひとつは昨年9月に五十余年ぶりに会った姪とその娘を有馬温泉へ招待し、名湯で疲れをいやして美味しい食事を食べてもらいたいということでした。姪の名はM、その娘をYちゃんとしておきます。
 
 3日の朝11時前に、特養ホームに近い神戸の「山陽塩屋駅」で彼女らと待ち合わせ。時刻表を調べると、東京駅朝7時10分発の「のぞみ」に乗車しなければならない。
 はじめは東京駅近辺のホテルで前泊しようという話をしていましたが、いっそ新神戸まで行って、ANAクラウンプラザホテルに泊まろうということに決まりました。このホテルは妻が主宰するNPO法人基本指圧研究会が、3年前に某公益財団法人の助成金を受賞した折、その授賞式が行われた場所です。新神戸駅からホテルまで通路が続き、地下3階には地下鉄の駅があるという絶好のロケーションです。

 そのあと、せっかくの神戸だからクルージングに参加しようとなって、旅行代理店に正月でもやっているところを選んでもらいました。黄昏どきの4時45分に神戸港を出港、明石大橋で折り返し6時30分に帰港する「コンチェルトクルージング」です。
 食事は中華のコース料理。たいへん美味でしたが、私は相変わらずビールやワインを飲んでいましたので、食事はそれほど進まなかった。レストランは船内4層階にわたるのですが、良心的だと思ったのは、窓際のテーブル以外には客を着かせないということです。テーブル席から暮れゆく神戸港や島影、明石大橋などが眺められるという計らいです。
 
 翌3日にM、Yらと山陽塩屋駅で会い、特別養護老人ホームへ向かいました。なかなか立派な建物で、内部も清掃が行き届き、その日、提供する食事のサンプルを受付に展示するなど、訪れる家族を慮った優しさ溢れるホームでもありました。舞子(塩屋からとても近い)に住んでいる妻の知人が「塩屋、垂水、須磨の一帯は、いま特養がたくさん建てられている」と語っていたそうです。
 この日、もう 1人の姪の娘がホームで待っていてくれました。姉は認知症が始まっていると聞いていました。すでに弟の顔もわからなくなっていたのですが、とても穏やかな表情だったので安心しました。薪が燃え尽きて火が消えるように、静かに生涯を閉じることができれば、と願ったものです。

 姉と会っている最中、妻が途中の乗り換え駅の手洗いにバッグを忘れたと騒ぎだした。十数万円の現金と帰りの切符が入っていたそうで、姪らに手伝ってもらい駅に連絡した。
 そのあと有馬温泉に向かう途中、念のため乗換駅事務所を訪ね再度確認したが、残念ながら紛失物が出てくることはなかった。しかし旅行の途中で誰かがケガをしたとか、病気になったわけでもないので、それですんでよかったというのが実感です。

 有馬温泉は1300年以上の歴史がある名湯。日本3古湯のひとつで、枕草子にも3名泉として紹介されているらしい。この日、泊まった旅館は「古泉閣」。豊富で良質な湯量を生かして、いつも清潔で新鮮な温泉を提供しいるという。有馬温泉のランドマーク・太閤橋のすぐそばに古泉閣の自家泉源があり、その豊富な湯量で1日2回、温泉の全量入れ替えと清掃を行っているのです。
 多紀連山と、敷地が 6万坪ある広大な庭園の緑が癒してくれる、落ち着いて時を過ごせる名旅館といえるでしょう。今回、旅行代理店の担当者から聞くまで、私もこの宿を知りませんでした。5階の廊下をはさんで2部屋を確保しましたが、部屋は思ったより広く、食事もたいへんおいしかった。

 何よりMとYちゃんが喜んでくれたのがうれしい。眠って目が覚めると叔父さんたちと別れる日になってしまう、少しでもこの楽しさが続くようにと、部屋に戻った後、午前3時まで寝なかったと家内に話していたらしい。なんともいじらしいではありませんか。朝食の後、Yちゃんに妻が「どう、おいしかった?」と訊くと、「全部がおいしかった」とにこにこしながら即答が返ってきた。

 そのあと有馬温泉から新神戸に移動して別れましたが、Mが私を見て涙をこぼしていた。そのあと、「… 本当に、本当に楽しい 2日間でした。… 別れ際、笑顔で見送らないといけないのに、泣いてしまってごめんなさい。…」とメールが届いていました。
 わずか1泊2日でしたが、彼女らが心から喜ぶ姿に、本当に意義ある旅だったと私も心底うれしくなりました。

H29 1 2 神戸1
前泊したANAホテル(上)とクルージング船・コンチェルト
H29 1 2 神戸2

H29 1 2 神戸3
クルージング客には窓際席だけが提供された
H29 1 2 神戸4

H29 1 2 神戸5
帰港して桟橋に接岸するコンチェルト(テーブル席から撮影)
H29 1 3 有馬6 YAHOO検索(画像)
元湯「古泉閣」。有馬温泉駅から車で 2分、連絡すれば随時送迎
をしてくれます。上の写真はYAHOO検索(画像)から
H29 1 3 有馬3

H29 1 3 有馬1
夕食は京風会席(上)、お品書きにそって
仲居さんが順次運んできます。下は新春
らしい彩りの朝食
H29 1 3 有馬2

H29 1 3 有馬4
駅傍の有馬川親水公園。河川敷まで下りて散策する人も多かった

H29 1 3 有馬5
古泉閣の泉源は有馬川親水公園のほとり、太閤橋の
そばにあります。ここから宿に豊富な湯が送られる

H29 1 4 姫路
「ぜひ4人で写真を…」。姪の提言で新神戸駅前で撮影
プロフィール

村 岡 長 治

Author:村 岡 長 治
出自:兵庫県姫路市
現在:埼玉県富士見市
仕事:特定社会保険労務士、行政書士

筑波大学付属駒場高等学校卒業後、早稲田大学理工学部に学ぶが、家業を継ぐため学業途上で帰郷。
現在、川越・ふじみ野・富士見方面で、社会保険労務士・行政書士業をやっています。

「村岡労務行政事務所」のホームページもご覧ください。

両士業の支部内で、勉強会などを持てるといいと思っています。信頼できる同志との連携を深めたい。

お客様とは互いに信頼でき、長続きする関係を築いて行きたい。

趣味は酒、旅行、絵画・音楽・書の鑑賞など。子供たちも独立して、いまは夫婦2人です。

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