秩父の湯の宿「和どう」で正月を、黒谷は「和同開珎」発祥の地

 大晦日と元旦の2泊で、埼玉県秩父の和銅温泉へ行ってきました。正月といっても、我が家を訪(とぶら)う人もない妻と2人の侘(わ)び住まい。そこで妻が脳出血で入院したのを機に7年、近くの温泉に出かけて旧年を送り、新年を迎えるのを習わしにしてきました。例年、温泉につかり、観光スポットなどを仲居さんから教えられれば行ってみる程度でしたが、今年は倅(せがれ)が加わったので多少賑やかでした。

 最寄駅は秩父鉄道の和銅黒谷(わどうくろや)駅。ここは和同開珎(わどうかいちん)の発祥地として有名だそうで、ホームには貨幣のモニュメントが設置されていた。
 かつて武蔵国秩父郡で、銅鉱石が発見された。当時、日本でいちばん必要な和銅が出たことを喜んだ朝廷が、それにちなんで和銅元年に改元したという。記念して発行された貨幣は、年号の「和銅」とは字が異なるが「和同開珎」と名づけられたらしい。

 今回の旅館は「湯の宿 和どう」、全38室という小さな旅館です。私らが宿泊したのは8畳2間続きで、1部屋にはベッドが2台。もう1つの畳部屋にはテーブルが置かれている。38室のうち14室には、広いバルコニーの横に露天風呂がついています。私は露天風呂はあんまり好きではないのですが、女房は大好き。大風呂と部屋の露天風呂を入り比べ、はしゃいでいました。
 旅館では昔、食事を部屋出しするところに人気があったが、最近は時間を予約して、食事処で夕食を摂っている間に布団を敷いてくれところが多くなった。プライベートを守るためか、夕食は個室を用意してくれるのもありがたい。2日とも工夫を凝らした会席料理が出てきた。決して量は多くないが、それでも私は残してしまう。飲料が多すぎるからでしょうか。

 翌元日、暖かく天気が良かったので、朝食のあと駅まで歩き電車で長瀞へ移動した。かつて長瀞の宿に泊まっていたとき、量が多くて驚いた蕎麦屋があった。面白半分、倅をさそって入店。その天ぷらそばが写真です。エビは2本だけ、あとキスの天ぷらがあったか。そのほかは野菜が山盛りだったのですが、若さですね全部食べてしまった。

 そのあと「長瀞の川下り」をしようという話になった。かつて社労士会で静岡方面を旅行したとき、大井川で船に乗った。しかし退屈極まるライン下りでした。途中、船頭さんが「埼玉から来た人が、わざわざこんな船下りをしなくても、長瀞の川下りが面白いでしょう」と。
 長瀞は急流の箇所へ近づくと、水しぶきがかからないように、船頭の合図で船べりに伏せていた長いビニールをいっせいに持ち上げた記憶がある。
 ところがこの日の長瀞は晴天続きで水嵩が少ないため、川下りでは急流で岩にぶつかるから危険だと中止になっていた。代わって乗ったのは近辺を一周する炬燵(こたつ)船。それなりの風情があったし、倅はそこそこ喜んでいた。

 瞬く間に過ぎた2泊3日でしたが、晴天に恵まれ暖かくて助かりました。天気概況によると、秩父は川越方面より5、6度気温が低かった。用意万端整えて行ったが、肩透かしを食ってしまいました。そのせいか、帰宅してからの寒さは身に応えましたね。
 帰宅後倅から私宛に、宅配便で日本酒を送ってきた。妻にはメールで、「楽しかった」と伝えてきたらしい。「カネもないのに無理をするな」と言いたかったが、妻から「素直に喜んでやって」と「牽制?」されたことでもあり、とりあえず「感謝」の電話をした。親父の立場も難しいものだ。

和どう - コピー
湯の宿 和どう。温泉もいいし食事も美味い、
そこそこの旅館でした

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宿の最寄り駅、和銅黒谷は和同開珎の発祥の地、駅
のホームには巨大なモニュメントが設置してある

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メガ盛りの天ぷらそば。テレビでも紹介された
らしい

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元旦、人影も少ない周回船乗り場付近

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ライン下りと岩畳(特別天然記念物)が有名な長瀞渓谷

霧雨にかすむ夜明けの日月潭、後ろ髪を引かれる思いで台湾を後に

 (前回のつづき)
 3日目は朝から高雄の見どころを案内された。そのあと台南へ。そこでは孔子廟、鄭成功像と鄭の屋敷跡、赤嵌楼(せっかんろう=この地がオランダ領のときの城)などを見学。台湾もそれなりに歴史のある地域ですから、神社仏閣も多い。ガイドに予定コースから寺社をカットしてもらった。
 「他の信仰をしている」という私の話に、彼は「私はキリスト教をやっている。だから仕事でキリスト教関係のところへ行っても、詳しい説明をしない。お客さんに聞かれると、キリスト教をやっているから」と、はっきり言うことにしていると話していた。

 この日は日月潭(にちげつたん)で宿泊。ここは台湾最大の湖でもっとも風景がいいとされる場所です。ことに湖面の色が刻々と変化する夜明け頃が最も美しいらしい。建設会社を経営している知り合いも、この景色を絶賛していました。
 ところが夕刻に近づくにつれて、だんだん空の雲が厚みを増してきた。「おい、おい。そんなはずはないだろう」というのが私の実感でした。
 夕食はホテル内の寒煙翠で台湾料理が振舞われた。VIPということで、一般客を横目に別の部屋へ通されたが、まったく意味が分からなかった。あるいは宿泊する部屋のランクで分けているのか? あんまりいい趣味じゃないね。

 翌朝、夜明けとともに目を覚ますと、部屋の窓から見渡す湖面は濃い霧に覆われている。台湾一と言われる日月潭の眺望ですが、残念ながら大自然相手だから仕方がない。
 朝食はホテル屋上のスカイラウンジ。同行ガイドの案内でテーブルにつく。流れる霧が濃くなると湖はまったくみえない。薄くなってくると、徐々に湖面が明るくなり、島が見え、対岸の山影が明らかになってくる。
 肌寒いなか、私は冷えた台湾ビールを定番のごとく飲んでいた。妻は身体が暖まるものをということで、紹興酒を頼んだがラウンジには置いていない。そこで熱い豆乳をもらい一息ついていました。

 食事の用意が進むうちに、霧雨が降りだした。あれ? 2人は晴れ男・晴れ女ではなかったのか?? しかし妻も私もいわば半病老人、若いときと違ってパワーが失われてしまったようだ。
 ところが、食事を終えて部屋に戻ったころには、すっかり晴れあがった。湖面を一望できる部屋の窓とバルコニーから、何枚か写真を撮ってみました。「台湾は最後」と思った今回でしたが、何か後ろ髪が引かれる思いでした。

 日月潭を後に車は台中へ。ここから台湾新幹線で台北へ戻りました。新幹線というのは日本人向けの言葉で、台湾では高速鉄道という。
 昼食は台北の鼎泰豊で小籠包や点心などの昼食。ここの小籠包は美食家たちの評判を呼び、新聞や雑誌のグルメコーナーでも紹介される人気レストランに。1993年にはニューヨーク・タイムズ紙で「世界の人気レストラン10店」の1つに選ばれ、一躍知名度が上がり、台湾国外からも多くの観光客が来店する世界的なブランドになったという。
 私が初めて台湾に行ったとき昼食に連れられたのがこの鼎泰豊。日本にも何軒も出店しています。

 そのあと台北101、中正紀念堂(初代総統・蒋介石の顕彰施設)、総統府、忠烈祠(衛兵交代式見学)などの予定があったのですが、妻が疲れてしまったのでキャンセル。宿泊のロイヤル・ニッコー・タイペイで一休みしました。
 夕方5時、ホテルのロビーでガイドと待ち合わせ。この日の最後は故宮博物院の見学と、その敷地内の故宮晶華で創作料理の夕食です。

 故宮博物院のもっとも有名な宝物(ほうもつ)は三大至宝と呼ばれています。日本でもよく知られているのが、翠玉白菜(すいぎょくはくさい=ヒスイを虫がとまった白菜の形に彫刻した美術品)と肉形石(豚の角煮)、もう1点は絵画です。この日は白菜と角煮はスルーして、その他の美術品・宝物をガイドの的確な解説で、30分ほど鑑賞することができました。
 故宮晶華の創作料理にこの白菜と角煮が出てきたのには笑いましたね。創作料理ですから、それはそれでいいのではありませんか。写真をご覧ください。

 いずれにしても楽しい旅行でした。成田空港でも桃園空港でも、搭乗までJALのラウンジで美味いビールを堪能できたのがよかった。(おわり)

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オランダ統治時代のお城、赤嵌樓

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鄭成功議和団の像

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成功大学のキャンパスにあるガジュマルの木

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スカイラウンジで朝食。せっかくの日月潭の絶景が霧の彼方に

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朝食が終わったころに、すっかり晴れてきた

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台湾新幹線で台中から台北へ

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故宮博物院の敷地にある故宮晶
華の創作料理。上は翠玉白菜、
下は豚肉の角煮。なかなか面白


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帰りの機内食で締めくくり

5日間の台湾一周旅行、太魯閣峡谷の20キロに及ぶ断崖絶壁は圧巻

 12月4日から5日間、台湾へ旅行しました。台湾は今回3回目でしたが、これまでは台北(たいぺい)方面への旅行でした。台北市内とその近郊が中心で、世界の4大博物館といわれる故宮博物院にも2回行き、台北101(展望台)にも上りました。九份(きゅうふん)にも、淡水にも行きました。
 台北は人口270万を擁する台湾の首都。群を抜いて近代的な都市で、ほぼ東京と変わらない生活を享受できるといわれています。
 そこで今回は、台北の桃園国際空港に到着したあと、電車で花蓮まで足を延ばして宿泊。そのあと高雄、台南、日月潭、台中、台北と、ざっとですが台湾を一回りしたのです。

 地図で見ると小さな島のようですが、広さは日本の九州とほぼ同じ。4泊5日で4ヵ所のホテルというのは、年寄りにはけっこう強行軍でした。ただし今回は私ら夫婦に全日程1人のガイドが専任で付き、専用車と列車を組み合わせた旅でした。
 なにせ過去2回の旅行で実感したのは、台湾の人たちはほとんど(空港、ホテルを除けばすべてかも)日本語も英語も通じないということでした。電車の改札係はもちろん、駅事務所でも。しかしその点、今回の旅行はガイドがいるので安心でした。

 1泊目は花蓮。ホテルの部屋は広くて快適だった。夕食はホテル内のレストランで広東料理。美味なのですが、なにせ品数が多過ぎる。食事はすべて前もってオーダーしてあり、私らのチョイスではないのです。「お品書き」を確認すると12種類もあった。私はビールをかなり飲むので、頑張ってもおかずには3分の1も箸をつけられない。
 しかしご飯はおいしかった、決して日本に負けません。食べてみると米がいいのがわかります。聞けば、この近郊の米作農家には日本統治時代の昔、日本人が大勢移民・入植したらしい。彼等が工夫して、内地米に負けない米を生産するようになったという。台湾一美味な米だが、台湾一高価だとも話していました。

 翌朝は、天然の大理石でできた自然の造形美、太魯閣(たろこ)峡谷へ行きました。立霧渓の流れが長い年月をかけて、大理石の岩盤を削ってできた大峡谷が深い谷間に沿って曲がりくねり、自然の偉大さを感じさせる奇観を創りだしている。約20キロの大理石の断崖絶壁は、「圧巻」という言い古された言葉では表現できません。
 途中で足を止めたガイドが山頂を指差し、「この頂上から谷底までは1キロ余りあり、アメリカのグランドキャニオンより深いのです」と言ったが、実際にグランドキャニオンをこの目で見て、その場でガイドの解説を聞いた私としては納得してはいない(ただしガイドをキズつけてはいけないから、素直に聞いていた)。グランドキャニオンは前人未踏の(ような急角度の)山頂からではなく、バスが行く展望台から1.8キロの深さがあったのです。

 太魯閣から高雄までは電車で5時間。妻は「こんな長時間電車に乗ったことがない」とぶつぶつ言っておりましたが、駅弁で昼食をすませながら、何とか高雄に到着しました。
 高雄は予想外と言ったら失礼でしょうか、巨大で立派な都市でした。小高い丘に登って眼下を一望すると、街には巨大な幅員の道路が走り、高層ビルが林立。港湾は入港許可の順番を待つ大型貨物船やタンカーでにぎわっている。
 日本統治時代、政府は高雄港を近代的な港に開発すべく3回に分けたプロジェクトを計画した。軍港としても重要な拠点となったが、2番目の工事完了のあと太平洋戦争で中止になった経緯があるのです。

 夕食は高雄で有名な海鮮料理ということで連れていかれた。台湾の食事はほぼ旨いといって間違いないのですが、量の多さを見ると引いてしまいそうです。
 そのあと夜の愛河クルーズ、さらに六合二路の夜市(よいち)へ。盛沢山すぎる内容ですが、2人だけの旅ですから、疲れたら省略してもらえばいいと思った。ガイドもその方が楽でしょう。
 2日目は高雄に宿泊しました。(つづく)


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JALの機内食、なかなか美味でしたよ

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ホテルの部屋は広くてゆったりできた

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太魯閣国家公園。大理石の絶壁が20キロ続く

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大都市高雄。巨大ビル群とタンカー、貨物船でにぎわう港が象徴的

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海鮮料理の後は夜の愛河クルーズ

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六合二路夜市(よいち)へ

縄文水は硬度10の超軟水、屋久島山中でスマホの時計が一時間遅れた

 屋久島の話をここまで引き延ばして書くつもりはなかったのですが、屋久杉も、これから書こうとしている縄文水も、私にとっては感動的なことでしたのでぜひお伝えしたいと考えました。そのあとはアンビリーバブルな体験です。興味がない方はどうぞスルーしてください。

 水には硬水と軟水があることはよくご存じだと思います。水道水をはじめ、日本はどこへ行っても飲み水はほぼ軟水です。
 水の硬度というのはマグネシウムとカルシウムが1リットル当たり何㎎含まれているかを表す指標です。

 WHO(世界保健機関)の基準では、硬度60未満の水を軟水、60㎎~120㎎未満の水を中程度の硬水、120㎎~180㎎未満を硬水、180㎎以上を非常な硬水といいます。
 ただし日本での一般的な定義は100㎎未満を軟水、100㎎以上を硬水というそうです。
 私が住んでいる埼玉県は水道水の硬度が75です。東京都65、鹿児島県48、最も硬度が高いのは沖縄県の84です。日本では、硬水に巡り合うことは余程意識していないとあり得ないのではないでしょうか。

 軟水は、
・口当たりが柔らかく、さっぱりしていている
・緑茶を入れる際に色や風味が出やすい
・旨み成分を引き出しやすく、煮炊きの多い日本料理に適している
・石けんや洗剤が泡立ちやすい

 硬水は、
・のどごしが硬い反面、しっかりした飲みごたえを感じる
・緑茶を入れる際に色や風味が出にくい
・肉を煮るときなどにアクが出やすいが、和風料理には適さない
・石けんや洗剤が泡立ちにくい

 言葉にすると分かりにくいと思いますが、日本人には軟水が合うといわれています。硬度の高い硬水を飲んでみると、「水が硬い」という実感を得ることができます。10年も前になるでしょうか、中欧を旅行した時です。レストランで出された水を、妻に「味わって飲んでごらん。硬さが分かるから」というと、飲んで納得、驚いていました。

 例えば「アルピナ ピュアウオーター研究所」のサイトには、こんな文章もあります。
 「日本の天然水の硬度は高くても100程度となっているのに対して、海外の天然水は300程度が基準となっており、なかには1500にも及ぶものがあります。その分多くのミネラルを摂取していることになりますので、どうしても身体に影響を及ぼしてしまうのです」

 前置きが長くなり過ぎました。
 実は屋久島のホテルで食事のときに出された水がものすごく柔らかく、飲んで口の中で自然に溶けて吸収される感じなのです。こういう水は飲んだ経験がない。従業員に聞くと、屋久島の山からの水で硬度が10。「縄文水」というそうです。

 さっそくこの水で、屋久島の三岳(みたけ)焼酎のお湯割りを作ってもらった。三岳焼酎はホテルのメニューにはなかったのですが、要望で作ってくれたのです。マイルドで実にうまい。スーッと喉を通り過ぎるのです。妻は感激して、縄文水1ケースを宅配便で川越の仕事場に送っていました。知り合いに「ぜひこの美味しさを体験してほしい」というのです。
 今回図らずも飲料水の珍しい体験ができましたので、ぜひお伝えしたいと思って書きました。


 それからもうひとつ。信じられないことがあったのです。証人は妻と私、そして屋久島交通タクシーの I さんというドライバーです。
 屋久島のホテルに到着したのは夕方。翌日はタクシーを頼み、島の主だったところをめぐりました。翌々日はガイド付きの観光バスを予定していたので、それを省いたコースを回ってもらったのです。

 いろいろ興味深いところも多く、それなりに満足でした。
 半日(4時間)の予定で、朝9時にホテルを出発した。しばらく経った時、私はふと「まだ2時間は経っていないだろうな」と思い、時刻を確認しました。iPhone7Plusを時計の代わりに使っています。
 ところが私のスマホの時刻は9時40分を少し過ぎているのです。
 自分の感覚とは1時間ほどずれている。私は「頭がおかしくなってしまったのではないか」ととっさに考えました。隣の妻に「スマホを見せて」といって確認すると、私のスマホと同じ時刻なのです。

 「1時間も時間の感覚が違ったのか、しかしそれは信じられない」と、何分かの間、私はさらに考え込んでしまいました。「1時間半以上経ったと思っていたのに、まだ40分しか経っていない?」。私は、頭脳の感覚がおかしくなったのではないか、と自信を失いかけた。
 そのとき、ふと運転席の右横をシート越しに見ると、デジタル時計が設置してあった。それは私らのスマホのちょうど1時間後を指しているのです。スマホが9時51分、運転席のデジタル時計が10時51分でした。

 「スマホの時刻がちょうど1時間遅れている。出発のときは合っていた。どうしたのだろう」
 妻は「(富士の)青木ヶ原樹海と同じじゃないの」と言います。青木ヶ原樹海では方位磁針が使えない、車の計器や放送機器に異常が発生する、などと言われています。俗説かどうか知りませんが、そのことを指しているのです。
 ドライバーが自分のスマホを示しました。私らのとは違う器種ですが、正確に10時51分を示していた。しかし1時間ジャストの遅れというのも不思議ですね。ドライバーに勧められて電源をいったん切って入れ直してみたが、まったく効果がなかった。

 「帰宅したら、iPhoneショップでセットし直してもらわなければ」。ところが山から下りてきた時点で、私と妻のスマホの時刻が正常に戻ったのです。ドライバーの I さんは、「ホテルに帰ると直るだろうとは思っていました」と言った。しかし私にとっては訳が分からない。それも夫婦のスマホともちょうど1時間遅れる、これはどういうことでしょう。

 まことに長々と書きまして、申し訳ありません。私の70余年の経験になかったことですので、ついついお伝えしたくなりました。

縄文水

種子島宇宙センターと鉄砲館を見学、海蝕洞窟・千座の岩屋もみごと

 屋久島の西之表港から鹿児島本島南埠頭まで1時間55分、連絡船はジェットフォイルなので、昔と比べるとかなり時間が短縮されています。
 日本は海洋王国ですから、本島と離島、離島どうしを結ぶジェットフォイルはなくてはならない存在です。28年ほど前、川崎重工が米ボーイング社の製造・販売権を得て現在まで15隻を製造。ボーイング社の5隻と合わせて20隻が日本で活躍しているそうです。

 航空機のジェットエンジンは、吸い込んだ空気をコンプレッサで圧縮し、燃料と混合して燃焼させた高温高圧ガスを噴射することで推進力としています。
 これに対してジェットフォイルは、海水をジェット流として高圧噴射し、その推進力で水中翼を持つ船体を海上に浮き上がらせ、速度45ノット(時速約83km)で航走させるのです。
 初期のジェットフォイルは、そろそろ船体に耐用年数が訪れようとしています。ところが川崎重工には、今のところ建造を続ける予定はなさそうなのです。5隻程度のロット需要が見込めなければ建造体制を組めないと言っているらしい。ジェットフォイルは連絡船としてだけではなく、災害時にも活躍します。極めて残念と言わねばなりません。

 それはさておいて、宿泊の種子島いわさきホテルはド派手な真っピンクの外装。センスがいいとは言いがたいのですが、どうして、客室も広く全室オーシャンビュー。レストランも窓際が全面ガラスで景観は言うことなし。落ち着いた雰囲気のいいシックなホテルです。
 つい先日まで盆休みでもありたいへん混雑していたらしいが、この日はレストランで顔を合わせたのは私ら2人以外に名古屋からの1組だけ。借り切ったような感覚でした。

 いわさきグループは鹿児島県を中心に、ホテル事業だけではなくバス事業、フェリー事業、高速船運航事業、ゴルフリゾートから白露酒造の酒類製造・販売。その他数限りない事業を手掛けています。
 このグループのホテルは今回の屋久島と種子島しか利用したことはありませんが、従業員の教育もたいへん行き届いている。この日の疲れは生ビールと白露焼酎で癒しました。

 翌日はいよいよ最終日。朝から残暑厳しい晴天でした。
 初めに向かったのが門倉(かどくら)岬。ここから南の喜界島に直線ラインを引くと、岬から海に向かって右手側(西側)が東シナ海、左手側(東側)が太平洋。ここで2つの海に分かれているのです。
 また鉄砲伝来の地でもあります。難破した南蛮船にいたポルトガル人による、鉄炮の実演を見た種子島の島主・種子島時堯が、そのうち2挺を購入し刀鍛冶の八板金兵衛らに命じて研究させた。これが我が国の鉄砲の始まりです。いろんなエピソードが残っていますが、骨子はこんなところでしょう。

 次いで案内されたのは種子島宇宙センター。総面積約970万平方メートルにおよぶ日本最大のロケット発射場です。地球の自転を利用したロケット打ち上げは赤道に近いほど有利らしいが、種子島は日本の最南端ではありません。
 同島より南の小笠原は、センター建設の前年に返還になったばかり。沖縄返還はまだ実現しておらず、日本の主権が及ぶ最南端に近い種子島ということで選ばれたものです。
 世界的には広大な原野に発射台等の施設を建設することが多いのですが、種子島宇宙センターは緑の山の中にあり、発射台はサンゴ礁に囲まれた岬の突端近くに設置されており、その絶景から「世界一美しいロケット基地」と呼ばれているのです。

 このあと「千座(ちくら)の岩屋」に行きました。
 種子島の東海岸は、太平洋の荒波に洗われてできた海蝕岩が見られます。なかでも、波に浸食された奇岩の広がる浜田海浜一帯にある岩屋は種子島最大の海蝕洞窟で、中には千人が座れるともいうことからこの名がつけられたということです。
 洞窟に入ることができるのは干潮時のみで、その前後2時間です。自然が作り上げた美しさは幻想的な雰囲気も漂い、沖合にちらばる岩礁と相まって景観を誇っています。

 鉄砲館もよかったですね。種子島の歴史、民俗、自然を実物資料やジオラマ、写真などで紹介しています。種子島は鉄砲の伝来地であると同時に国内で初めて火縄銃を製作した地です。ポルトガルの初伝来銃をはじめ、国産第1号銃や国内外の古式銃約100点を展示してあります。
 館の管理、運営は西之表市教育委員会社会教育課文化係が行っているということですが、なかなか見ごたえのある展示館でした。

 この日、午後3時発のジェットフォイルで鹿児島本港に渡り、鹿児島空港から羽田まで。あっという間に終わった小旅行でしたが、屋久島も種子島も、来てよかったというのが実感でした。

種子島1
ド派手なピンクの外装、しかし内部はなかなかシック
で落ち着いている。種子島いわさきホテル

種子島1-1
レストランからの景観もなかなかのものです

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夜はプールをライトアップ

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種子島の最南端・門倉岬に建つ「鉄砲
伝来紀功碑」

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この門倉岬から右手(西)方向は東シナ海、左手(東)方向は太平洋

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種子島宇宙センター

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宇宙ロケットのエンジンが展示されている

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千座(ちくら)の岩屋です。干潮時の前後2時間しか中へ入
れない

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鉄砲館(上)と展示の鉄砲
種子島12

種子島17

種子島11
恥ずかしながら少年時代にタイム
スリップした小生の写真も1枚
プロフィール

村 岡 長 治

Author:村 岡 長 治
出自:兵庫県姫路市
現在:埼玉県富士見市
仕事:特定社会保険労務士、行政書士

筑波大学付属駒場高等学校卒業後、早稲田大学理工学部に学ぶが、家業を継ぐため学業途上で帰郷。
現在、川越・ふじみ野・富士見方面で、社会保険労務士・行政書士業をやっています。

「村岡労務行政事務所」のホームページもご覧ください。

両士業の支部内で、勉強会などを持てるといいと思っています。信頼できる同志との連携を深めたい。

お客様とは互いに信頼でき、長続きする関係を築いて行きたい。

趣味は酒、旅行、絵画・音楽・書の鑑賞など。子供たちも独立して、いまは夫婦2人です。

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