取り立ててめでたくもない喜寿の宴? 初夏のXIV蓼科で命の洗濯

 10・11日の両日、一泊で蓼科高原(長野県)へ行ってきました。同行したのは妻と息子。私はこの6月、喜寿を迎えます。若い時からこんなに長生きをするつもりはありませんでしたので、少々戸惑っています。
 そんな中、「喜寿を迎えるんだからどこか行こうよ」という妻の誘いと、前立腺がんに罹患して治療方針も確立していない状態の私ですが、もし身罷(みまか)った場合の心構えを、倅にわからせておきたいという思いもありました。

 ただ私自身は、加齢による身体能力の低下は無視できませんが、気持ちは軒昂たるものがあります。倅に対して言いたかったことは、しっかりせよということと、もし私を亡くした後は、母親の気持をしっかり支えていけということだけです。
 取りあえず住まいはありますし、当分は食べてもいかれるでしょう。倅に対しては、腹構えを促しただけ。当然のことを説かれたわけですから、異を唱える余地はなかったようです。

 今回、宿泊したのはリゾートホテル「エクシブ蓼科」。実は同じ(株)リゾートトラストのホテルで近場のXIV「箱根離宮」か「湯河原離宮」を希望したのですが、日にちが切迫していたこともあり、土・日は無理でした。
 「XIV初島クラブ」(熱海)も候補に挙げましたが、予約をお願いした方の「あんまりお勧めできない」という話で取りやめ。倅の仕事の都合もあり、ほかの日程に決め難く、蓼科になったのです。

 残念なことに関東甲信も7日に梅雨入りしました。
 妻も私も、実は大変な「晴れ人間」でした。2人で旅行に行って雨に降られたためしがなかった。前日まで雨の予報でも、当日は晴れあがったのです。
 過去形で述べたのは、妻は6年前に脳出血で倒れいまだに後遺症に悩んでいます。私は今年1月に前立腺の手術をして体調もすぐれない。晴れ人間たちの神通力(?)も徐々に衰えてきたようです。

 天気予報では10日の蓼科高原は雨。この日、チェックインの時間より少し早くホテルに到着、北八ヶ岳ロープウエイの山麓駅までタクシーで20分ほどでした。山頂まで行ったのですが、小雨が降り出したのでさっさとホテルへ戻った。
 部屋はスイート。90㎡を超える広々とした間取りで、リビングにベッドルームと和室が接している。バスルームにはジェットバスとともにテレビも設置、バルコニーはサンルームです。倅は部屋の広さに驚いていた。

 部屋のテーブルには、ホテルの手配を依頼した方から手紙と、銘酒「菊姫」のボトルが置いてありました。私への喜寿を祝う言葉と、「このお酒はお部屋でも、夕食時にレストランへ持ち込んでも、召し上がっていただけます」と書き添えてあった。
 ホテルからは、「‥‥オーナー様よりお酒が届いております。レストランで召し上がっていただくこともできますので、‥‥お楽しみください。エクシブ蓼科スタッフ一同」と書いたカードがあった。「オーナー様」とは、ホテルの手配をしてもらったホテル会員権の所有者のことらしい。彼女にお礼のメールをして、恐縮しながら直ちに3人で乾杯。

 大風呂で疲れを癒した後は夕食。この日は会席料理を予約していた。
 体調がすぐれないといっても、ビールが実にうまい。ことにC型肝炎ウイルスを駆除してからは、前よりいちだんと美味いのです。困ったものだ。飯は私が食さない分を、倅が健啖家ぶりを発揮した。
 日本画家の横山大観翁は後半の50年ほとんど米飯を摂らず、食事は酒と肴(少量の野菜)だけで済ませていたという。たまに食べる時も1粒2粒と米粒を数えるほど。しかし90歳で天寿を全うする2年ぐらい前までは、毎日1升酒を飲んでいたらしい。
 比べるのは恐れ多いが、臨終の近くまで「うまい酒」を飲めるのは何ともうらやましいではありませんか。あやかりたいものです。
 
 今年は正月に有馬温泉へ行ったあと、日大板橋病院で手術をしたので、しばらくはどこへも出かけられなかった。高校時代の恩師の米寿の祝賀会にも行けなかったのが心残りでした。今回は倅を「諭す」という心算だったが、自分が「癒された」感じでした。

 翌日は朝から「梅雨(つゆ)の晴れ間」の超快晴。ホテルの敷地内は歩くにはあまりに広すぎます。しかしその一隅の林の中を、蝉時雨(せみしぐれ)を浴びながら散策しました。まだ蝉の季節には早いと思ってホテルの職員に聞くと、春蝉(はるぜみ)といって、松林に生息し晩春や初夏に成虫になる蝉だという。
 蓼科高原には野生のシカも棲息している。しかしウサギはいないらしい、キツネに食われてしまうからだとか。

 わずか1泊の旅行でしたが、帰ってきて疲れ果てたというのが実感でした。2泊にした方が、あるいは楽だったのか。体力が落ちているのですね。これからは出かける前、少しは身体を鍛えて? おかなければと感じた旅でした。

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北八ヶ岳ロープウエイ、上の写真は山麓駅

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妻とせがれを同行してXIV蓼科へ

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部屋には銘酒「菊姫」が待っていた

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翌朝、いつもながらビールが美味い。困ったものだ

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春蝉の鳴き声を浴びながらホテルの庭を散策

蓼科1-16野生のシカ (2)
野生のシカの姿も見えた

正月は神戸港でクルージングに、翌日は姪たちと有馬温泉を楽しむ  

 年末と年始、長らくブログをご無沙汰いたしました。とりあえず私の近況をご報告いたします。
 正月2日から4日まで、妻と神戸方面に行ってきました。
 目的は2つ。ひとつは特別養護老人ホームへ入園した姉を見舞うこと、いまひとつは昨年9月に五十余年ぶりに会った姪とその娘を有馬温泉へ招待し、名湯で疲れをいやして美味しい食事を食べてもらいたいということでした。姪の名はM、その娘をYちゃんとしておきます。
 
 3日の朝11時前に、特養ホームに近い神戸の「山陽塩屋駅」で彼女らと待ち合わせ。時刻表を調べると、東京駅朝7時10分発の「のぞみ」に乗車しなければならない。
 はじめは東京駅近辺のホテルで前泊しようという話をしていましたが、いっそ新神戸まで行って、ANAクラウンプラザホテルに泊まろうということに決まりました。このホテルは妻が主宰するNPO法人基本指圧研究会が、3年前に某公益財団法人の助成金を受賞した折、その授賞式が行われた場所です。新神戸駅からホテルまで通路が続き、地下3階には地下鉄の駅があるという絶好のロケーションです。

 そのあと、せっかくの神戸だからクルージングに参加しようとなって、旅行代理店に正月でもやっているところを選んでもらいました。黄昏どきの4時45分に神戸港を出港、明石大橋で折り返し6時30分に帰港する「コンチェルトクルージング」です。
 食事は中華のコース料理。たいへん美味でしたが、私は相変わらずビールやワインを飲んでいましたので、食事はそれほど進まなかった。レストランは船内4層階にわたるのですが、良心的だと思ったのは、窓際のテーブル以外には客を着かせないということです。テーブル席から暮れゆく神戸港や島影、明石大橋などが眺められるという計らいです。
 
 翌3日にM、Yらと山陽塩屋駅で会い、特別養護老人ホームへ向かいました。なかなか立派な建物で、内部も清掃が行き届き、その日、提供する食事のサンプルを受付に展示するなど、訪れる家族を慮った優しさ溢れるホームでもありました。舞子(塩屋からとても近い)に住んでいる妻の知人が「塩屋、垂水、須磨の一帯は、いま特養がたくさん建てられている」と語っていたそうです。
 この日、もう 1人の姪の娘がホームで待っていてくれました。姉は認知症が始まっていると聞いていました。すでに弟の顔もわからなくなっていたのですが、とても穏やかな表情だったので安心しました。薪が燃え尽きて火が消えるように、静かに生涯を閉じることができれば、と願ったものです。

 姉と会っている最中、妻が途中の乗り換え駅の手洗いにバッグを忘れたと騒ぎだした。十数万円の現金と帰りの切符が入っていたそうで、姪らに手伝ってもらい駅に連絡した。
 そのあと有馬温泉に向かう途中、念のため乗換駅事務所を訪ね再度確認したが、残念ながら紛失物が出てくることはなかった。しかし旅行の途中で誰かがケガをしたとか、病気になったわけでもないので、それですんでよかったというのが実感です。

 有馬温泉は1300年以上の歴史がある名湯。日本3古湯のひとつで、枕草子にも3名泉として紹介されているらしい。この日、泊まった旅館は「古泉閣」。豊富で良質な湯量を生かして、いつも清潔で新鮮な温泉を提供しいるという。有馬温泉のランドマーク・太閤橋のすぐそばに古泉閣の自家泉源があり、その豊富な湯量で1日2回、温泉の全量入れ替えと清掃を行っているのです。
 多紀連山と、敷地が 6万坪ある広大な庭園の緑が癒してくれる、落ち着いて時を過ごせる名旅館といえるでしょう。今回、旅行代理店の担当者から聞くまで、私もこの宿を知りませんでした。5階の廊下をはさんで2部屋を確保しましたが、部屋は思ったより広く、食事もたいへんおいしかった。

 何よりMとYちゃんが喜んでくれたのがうれしい。眠って目が覚めると叔父さんたちと別れる日になってしまう、少しでもこの楽しさが続くようにと、部屋に戻った後、午前3時まで寝なかったと家内に話していたらしい。なんともいじらしいではありませんか。朝食の後、Yちゃんに妻が「どう、おいしかった?」と訊くと、「全部がおいしかった」とにこにこしながら即答が返ってきた。

 そのあと有馬温泉から新神戸に移動して別れましたが、Mが私を見て涙をこぼしていた。そのあと、「… 本当に、本当に楽しい 2日間でした。… 別れ際、笑顔で見送らないといけないのに、泣いてしまってごめんなさい。…」とメールが届いていました。
 わずか1泊2日でしたが、彼女らが心から喜ぶ姿に、本当に意義ある旅だったと私も心底うれしくなりました。

H29 1 2 神戸1
前泊したANAホテル(上)とクルージング船・コンチェルト
H29 1 2 神戸2

H29 1 2 神戸3
クルージング客には窓際席だけが提供された
H29 1 2 神戸4

H29 1 2 神戸5
帰港して桟橋に接岸するコンチェルト(テーブル席から撮影)
H29 1 3 有馬6 YAHOO検索(画像)
元湯「古泉閣」。有馬温泉駅から車で 2分、連絡すれば随時送迎
をしてくれます。上の写真はYAHOO検索(画像)から
H29 1 3 有馬3

H29 1 3 有馬1
夕食は京風会席(上)、お品書きにそって
仲居さんが順次運んできます。下は新春
らしい彩りの朝食
H29 1 3 有馬2

H29 1 3 有馬4
駅傍の有馬川親水公園。河川敷まで下りて散策する人も多かった

H29 1 3 有馬5
古泉閣の泉源は有馬川親水公園のほとり、太閤橋の
そばにあります。ここから宿に豊富な湯が送られる

H29 1 4 姫路
「ぜひ4人で写真を…」。姪の提言で新神戸駅前で撮影

倉敷「美観地区」は美しかった、川の中にもう一つの街が?

 倉敷駅へ到着したのは5日正午を少し回ったころ、ビールでのどを潤しながらゆっくり昼食を済ませました。
 倉敷はもともと天領(幕府直轄地)で税金が安かったらしい。近年に至っても、20年ほど前までは工業地帯や競艇場等からの潤沢な収入により、地方交付税を受けない自治体でした。水島臨海工業地帯を見ても、西日本最大の素材供給基地であり、石油精製と石油化学の結びつきだけでなく、鉄鋼までの広い素材産業から、自動車などの加工組立産業までの一大産業集積地です。

 そのため市役所をはじめ、豪華な施設の建設や過剰と思われる道路の敷設も行い、市民からの不評も少なくなかったらしい。しかし少子化傾向のなかでも都市計画は見直されず、公共事業の膨らみが財政を圧迫。長引く景気の低迷による収入の減少に追討ちされ、地方交付税交付団体になり、現在は支出の削減に取り組んでいるという。
 建物も、ことに「美観地区」は第一合同銀行倉敷支店(現在の中国銀行)や、大原美術館、大原孫三郎氏別邸(有隣壮)に見るように大正、昭和の初期に建てられたものが多いが、中には江戸時代から存続している建物もある。しかも和洋渾然一体となって違和感なく、訪ねる観光客の心を引き付けているのです。

 私らが泊まった吉井旅館も美観地区にあります。江戸時代後期に民家として建築されたものを、明治時代に旅館に改造したそうです。現在、文化財保護法による倉敷川畔伝統的建造物群保存地区内の建物の一つとして、外観を保存しつつ百年余にわたって旅館を続けているという。

 坂本龍馬が泊まった部屋も今に残されています。龍馬は日本で初めて“新婚旅行”を実践したというのが通説です。あるいはここにも、お龍さんと泊まりに来たのでしょうか。

 倉敷はまことに魅力的な街です。美観地区の家には多少の補助金が出ているようですが、建物の外見を修築するときは市役所に届けなければならない。そこには建築の専門家がいて、いろいろ相談にのって(というより、規制をして)いるということでした。
 私がハンガリーに行ったとき、古い由緒ある建物がある街では、道路に面した家を建て替えるときは、昔の姿を残すことが義務付けられていることを聞きました。歴史と伝統を残さなければならない地区には、こういう規制も必要でしょう。

 私らが吉井旅館を目指して歩いていた時、ガイドが声をかけてきました。倉敷美観地区・有料観光ガイドらしい。さっそく依頼したところ、まず旅館へ案内して荷物を預けるように勧められた。それから美観地区の案内です。トータルで考えて、ガイドを頼んだのは正解でした。
 現地を知らずに歩くだけでは、メインの川添の道をうろうろするだけだったでしょう。小路までとうてい入り込めなかったに違いない。充分価値があった。

 そのあと旅館にチェックイン。午後5時から「くらしき川舟流し」を予約していました。かつて物資を積んだ川舟の往来でにぎわった倉敷川、その風情を味わえる観光川舟が運行されています。ゆったりと進む舟に腰を下ろして眺める白壁の町並みは、川舟流しで味わえる楽しみでしょう。
 6人乗りの小舟です。私としては衆人環視の中で嫌だったのですが、女性2人に押し切られた。振り返るとベルギーのブルージュでしたか、やはりこの2人を連れて行ったとき、(一頭立て3人乗りの)観光馬車にどうしても乗りたいとせがまれ、街中の見世物になる恥ずかしさを味わったことがあります。
 夕食の後、川沿いの道を歩いてみました。
誰にも聞いていなかったので驚きました。無風の川面が鏡になって、川辺の建物がさかさまに映し出されている。川の中にもう一つの世界が広がるのです。何枚か写真を撮りました。ぜひご覧ください。

 今回ことによかったのが、桜の満開とぴったり重なったことです。桜の行楽季節ですので、1か月半前には旅館も予約しなければならない。日を選ぶのに苦労しました。しかもその時が近づくにつれて、さらなる不安が「雨」の予報でした。週間予報でも「雨」が動かないのです。
 私は“晴れ男”、妻も“晴れ女”で、旅行へ行って雨にあった記憶がありません。しかし加齢と病気で双方パワーダウンは免れない。そこへいくと義妹は“雨女”で、そのパワーは半端じゃない。我が家へきて富山へ帰るとき、雪で全然電車が動かず、全く違うルートからやっと帰った。何年か前の1月にグアムへ連れて行ったとき、成田空港が突然の雪で全面閉鎖。朝早く飛ぶ予定が、夜も遅くなり、日が替わってやっと飛んだこともあった。ことほど左様に、必ず「荒天」を背負ってくる。しかし今回の旅、どうやら晴れ人間の「勝ち」で事なきを得ました。

 長々、だらだらと書いてしまいました。下手な写真ですが、どうかご覧ください。結構楽しい旅でした。

倉敷1

倉敷2

倉敷11

倉敷12
宿泊した吉井旅館。江戸時代後期に建築された民家を、明治
時代に旅館として改装。百余年営業を続けている

倉敷6
倉敷アイビースクエア「アイビー学館」。明治22年築の倉敷紡績レンガ工場を
利用した施設。西洋絵画の誕生から抽象絵画への流れを解説する「近代絵画の
動画とその展開」コーナー、吉備路を紹介する「吉備国の残照」コーナーがある

倉敷
現在の中国銀行の前身、第一合同銀行倉敷支店として大正11年に建てられた。
正面に6本、側面に3本の付柱とドーム型のステンドグラスのある、ルネサンス
様式の建物。現在も中国銀行倉敷本町出張所として営業している。設計者は、
大原美術館や有隣荘、倉敷中央病院も設計し、倉敷の街づくりに貢献した建築
家の薬師寺主計

b倉敷
昭和3年、大原孫三郎が家族で住むために建てた大原家の別邸、有隣荘。内装の
デザインは児島虎次郎が、作庭は七代目小川治兵衛によって手がけられた和洋
折衷の建物。瓦は大原が中国大陸に旅行した際、孔子廟の屋根瓦にあこがれて
それを模したという独特の色合いで、見る角度によって緑色に光るため「緑御
殿」とも呼ばれている

倉敷a

倉敷5

倉敷7

倉敷8
倉敷考古館は美観地区の代表的な建物の1つ。中橋越しに見える倉敷館考古館
の壁が、柳の緑と空の青に映えて美しい。倉敷考古館は昭和25年に江戸時代の
蔵を改装した建物です。写真(下)の右の人物はガイドの藤野さん
倉敷x

倉敷15

倉敷16

倉敷18

倉敷y
かつて物資を積んだ川舟の往来でにぎわった倉敷川。その風情
を味わう観光川舟を午後5時に予約

倉敷21
鏡のような川面に映える、倉敷川沿いの建物。まるで水面下に
もう一つの世界がある錯覚にとらわれる

倉敷24

倉敷28

倉敷20
左は夜の吉井旅館、左手前は犬矢来。美観地区には電飾看板
などない

岡山城は黒い外見から烏城の別名、隣り合わせに名園「後楽園」

 5日は日航姫路ホテルで朝食の後、まず岡山駅へ向かいました。
 岡山城は駅からさほど遠くない場所に位置する国指定の史跡。城の建物に張り付けてある下見板が黒いことから、別名を烏城(うじょう)と呼ばれています。一般的に横張りは下見板、縦張りは羽目板と呼びますが施工用語は地方によって異なるようです。漢字にすると同じ「烏城」ですが、信州の松本城は「からすじょう」と読みますのでご注意ください。

 豊臣秀吉に厚遇されて大大名となった宇喜多秀家が、秀吉の意を容れて築城し、8年の歳月を費やして完成した岡山城。秀家はこの城を戦の施設としてだけでなく、領国内の商人や職人が集まる城下町として整備しました。しかし関ヶ原合戦で敗軍の将となった秀家は、八丈島に流配され、そこで長い余生を過ごすのです。
 蛇足になりますが秀吉は黒い城を、徳川家康は白い城を好んだ。その好みが、時代の城に反映しているようです。

 秀家に代わって城主となった小早川秀秋は、それまでの西側の外堀の外に城域を拡張して新たに外堀を設けた。秀秋の夭折の後は、幕藩体制の下で岡山城は岡山藩の城府となり、池田家を藩主として明治維新に至るのです。藩政が安定期に入った17世紀末には、旭川を隔てて北側に藩主が憩と趣を楽しむ庭として広大な「後楽園」が作られました。

 昭和20年に国宝の天守閣が焼失。その後、鉄筋コンクリート造りで再建されています。天守閣に登るにもエレベーターが設置されています。現在、文化財として見ることができる天守は姫路城など12城のみとなっており、「現存12天守」と称されます。もちろん岡山城は含まれません。
 先に述べましたが、後楽園は金沢の「兼六園」、水戸の「偕楽園」と並んで、日本三名園といわれています。私は後楽園に来るのは初めてでした。ただし城の天守から眺めると期待とあまりにも違うので、行くのはスルーしました。

 この後、倉敷に向かいました。倉敷はかつて天領(幕府の直轄地)でした。今では倉敷川沿いの白壁の町並みが「美観地区」として有名な観光地であり、製造品出荷額も大阪市に次ぐ西日本を代表する工業都市だと聞きました。次回もう一度、倉敷について書き、写真などを紹介させていただきます。

岡山1
「これで見納めかも…」。 姫路市民の誇りの城に別れを惜しんで岡山へ
(姫路駅前にて)

岡山2
昭和20年、岡山空襲で天守が焼失。昭和41年、天守を鉄筋コンクリートで再建。
昭和62年、「岡山城跡」として史跡に指定された

岡山3
天守から下層屋根の鯱を眺める

岡山5

岡山6
川を隔てて、日本三名園の一つ「後楽園」が広がる

「平成の大修理」を終えた桜満開の姫路城へ、木造建築美の集大成に感動

 4月3日から6日までの4日間を利用して、久しぶりに旅行に出かけました。今回は姫路と岡山、倉敷です。姫路市は私の生まれ故郷。昔、兵庫県飾磨郡に所属する島嶼部でしたが、その後の市町村合併に伴い姫路市になったものです。
 姫路城は「全国桜の名所百選」にも選ばれています。その中では15位だそうですが、兵庫県では2位にランクされている桜の美しいお城です。
 昨年3月、平成の大修理を終えましたが、50年前の昭和の大修理を知っている私としては、どうしても見たかった。ただ相当な混雑が予想されたので、1年先延ばしにしていたものです。

 姫路城は白鷺城(しらさぎじょう、はくろじょう)ともいわれます。その優美さが、白鷺が羽を広げた姿に譬えられたものです。大改修の後は壁や屋根の白漆喰が新しくなり、ことに白さが際だって美しい。「白すぎ城」という人もいるそうですが、なかなかうまい譬えだと思いましたね。
 大天守は外観五重、内部7階(地上6階、地下1階)で、三基の小天守と渡櫓で繋がれて連立天守郭を構成する。日本の城郭建築最盛期を代表するものです。姫路城は国宝であり、法隆寺とともに日本初の世界遺産に選ばれてもいます。木造建築で7階建て、さらにこの優美さを造り出したということは、当時の日本建築がいかに優れていたかという証です。

 3日夜は東京駅の近くで前泊、4日はホテル日航姫路に泊まりました。駅から2分の絶好のロケーションです。今回の同行者は妻とその妹、4日の正午少し前に姫路駅に到着。そのままホテルに向かい、私らの荷物を部屋までに運んでおいてくれるように依頼して、お城に向かいました。
 姫路城に着いたのは午後1時ごろ、大天守までの待ち時間は30分でした。タクシー運転手の話では、前々日の2日は観桜会があり車の大渋滞で、全く動きがとれなかったらしい。

 6階の大天守からは姫路の街が一望でき、5階屋根の鯱瓦を見ることもできます。
西の丸に入り百間廊下を行くと千姫が休息所に使った化粧櫓に行きつくのですが、疲れ果てたのでホテルのバスタブで暖まり、暗くなって、ライトアップをしたお城へ再び出かけました。
 私はアルコール飲料が大好きですし、妻も義妹もかなりイケる方です。この日、駅近辺でハシゴをした後、ホテルのバーで仕上げです。15階に「夜間飛行」というオシャレなネーミングのバー&ラウンジがあります。そこからはライトアップした姫路城を見ることができるのです。
 かなり飲んだのですが仕上げには不足だったようで、さらに私の部屋で日が替わるころまで反省会です。
 
 翌日、岡山と倉敷へ行きましたが、次回改めてご報告します。私が幼い時から眺めてきた白鷺城、スマホでずいぶん写真を撮りました。下手ですが何枚かご紹介します。

姫路21

姫路32

姫路21

姫路4

姫路24

姫路23
有名な「姥ヶ石」。石垣の石が不足しているのを案
じた老婆が、自分の大事な石臼を差し出した。それ
を機に石が集まり、立派な石垣が完成したという

姫路25
6階の大天守から眺めた5階屋根の鯱瓦

姫路34
ライトアップされた夜の姫路城

姫路35

姫路41

姫路43
駅前から姫路城を臨む。青く丸い光は交通信号機のライト
プロフィール

村 岡 長 治

Author:村 岡 長 治
出自:兵庫県姫路市
現在:埼玉県富士見市
仕事:特定社会保険労務士、行政書士

筑波大学付属駒場高等学校卒業後、早稲田大学理工学部に学ぶが、家業を継ぐため学業途上で帰郷。
現在、川越・ふじみ野・富士見方面で、社会保険労務士・行政書士業をやっています。

「村岡労務行政事務所」のホームページもご覧ください。

両士業の支部内で、勉強会などを持てるといいと思っています。信頼できる同志との連携を深めたい。

お客様とは互いに信頼でき、長続きする関係を築いて行きたい。

趣味は酒、旅行、絵画・音楽・書の鑑賞など。子供たちも独立して、いまは夫婦2人です。

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