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緊急搬送の妻を迎えに富山へ、指圧ボランティアの帰途に脳出血の後遺症

 ご無沙汰しました。
 実は12、13の両日を使って、病気の発作で入院した妻を迎えに富山まで行ってきました。帰宅後の何日かを雑務で追われ、やっと一段落といったところです。

 妻はお盆休みの11、12日を使って指圧のボランティアで富山市まで出かけたのです。平成10年の暮れに脳出血を起こして以来、妻は何度かその後遺症に悩まされていました。専門医によると、脳出血を起こした人の3割ぐらいがてんかんの後遺症が残るということでした。
 例にもれず妻も病後、8年弱の間に5回救急搬送されました。私が出向いて事なきを得た、それほど状態がひどくなかった例も2、3ありました。

 このてんかんはほとんどが投薬で発作を抑えることができるそうです。ただ妻は薬を飲むことが大嫌いでした。飲むと副作用らしきものが出て、体が動かなくなってしまう。
 しかし何度かてんかん発作を起こすうちに、「みんなに迷惑をかけるから、いやだと言っておれない」と、欠かさず服用するように努力していたのです。今回もきっちり薬を飲んでいての発作でした。

 ボランティアでも青森、福岡、沖縄(西表島)などホテル泊の時は、夜間あるいは入浴中の不測の事態を慮り、私が同行していました。今回は妹夫婦の家が広いからそこでデモンストレーションを行い、ついでに宿泊するということでした。
 以前も自宅近くのららぽーとへ行ったとき、音量を上げたBGM、幼児・子供らの甲高い叫び声で危うく発作が起きそうになったこともあった。カラオケなどはまず行きません。

 前夜、「大丈夫ですから」と電話があり安心していました。ところが次の日、帰る妻を妹夫妻が駅まで送った。その時、知り合いに名物の「鱒ずし」を買おうとショッピングセンターに入った。お盆でもありその喧噪ぶりはひどかったらしい。
 私は自宅にいましたが妹夫婦から、妻が発作を起こし緊急搬送されたと電話がありました。私はなにがしかの金をポケットにねじ込み、富山へ急ぎました。搬送先は富山赤十字病院。ただ次の日退院できるということでしたので、私は宿泊のホテルを予約し、世話をかけた妹夫婦とそこのレストランで夕食をともにしました。

 翌日、もし盆のラッシュで新幹線の切符がとれなかったら、ゆっくりもう1泊して、妹夫婦とうまいものを食べて、翌朝早い列車で帰ろうと思っていたのですが、案に相違してグリーン車も、普通車指定席も空席があるのです。グリーン車はガラ空きでした。
 まだUターンまでには間があったのでしょう。もう少しゆっくりしたかった、ちょっぴりがっかりしたのが正直なところです。

 妻も、今度は生活習慣を変えることの大事を強く思ったようです。同じ繰り返しでは「脳」にもいい影響があるはずがない。私も協力して、なんとしても悪連鎖を断ち切っていきたいと思います。


 遅くなってしまいましたが、ここで一言だけ申し述べておきたい。
 山口県周防大島町で12日から行方不明になっていた藤本理稀(よしき)ちゃんが、実に3日ぶりに無事見つかった。2歳になったばかりの嬰児ですよ。真っ暗な山の中で夜中もたった1人です。どんなに怖かったか、お腹も空いていたでしょう。
 大分県からボランティアで捜索に参加した尾畠春夫さん、見つけてくれて本当にありがとう。彼は150人捜査陣の中に入ったのではなく、独自に思うところを探したらしい。見つけたと知った時には思わず涙が出てきた。

 テレビでちらっと見ただけですが、県警柳井署は署長名の感謝状(かなにか?)を尾畠さんに贈ったらしい。それはそれでいいでしょう。だがすぐに県警本部長の感謝状を贈るべきでしょう。
 さらに本部長は、必要があると認めるときは、県警の訓令に掲げる以外の表彰をすることができる、ということだ。150人の捜査陣と別行動をとって発見した功績は、特筆大書すべきではありませんか。捜査陣の1人として参加していたら果たして見つけられたか、ということも考えないことではありません。でも本当によかった。
 その後、理稀ちゃんが夜泣きをすることはないかな? ご家族もメンタルケアを忘れないでいただきたい。

北朝鮮のCVID順守は譲れない一線、閉塞感を拭えない米朝協議が残念

 ポンぺオ米国務長官は7日、平壌で北朝鮮の金英哲(キム・ヨンチョル)朝鮮労働党副委員長らと、非核化に向けた2日目の協議を行った。しかし毎日新聞はじめ各紙を読み比べてみても、さっそく行き詰っているのを感じる。
 私は「北朝鮮が核を手放すことは考えられない」と言い続けてきたが、ここへきて北は本性を見せ始めたといってもいいのではないでしょうか。

 次が毎日新聞(7月8日)からの抜粋です。
 「北朝鮮の外務省報道官は今回の協議について『米国側の態度と立場は実に残念極まりない』と批判し、非核化についても『意思が揺らぎかねない危険な局面だ』と主張する談話を発表した」

 すなわち米国側が今回の協議で、米朝首脳会談の精神に反して、CVID(完全かつ検証可能で不可逆的な非核化)だ、深刻だ、検証だ、などと一方的で強圧的な非核化要求だけを持ち出した、と非難。また、朝鮮半島の平和体制構築の問題については言及せず、終戦宣言問題は後回しにしている、と不満を述べたというのです。

 今回の米朝協議直後に北朝鮮は、非核化よりも北朝鮮に「安全の保証」を提供することを求めているという。「これは決して『軍事的な身の安全』だけではなく、経済制裁の緩和と経済協力など自らの要求を優先するよう強く主張する可能性が高そうだ」と毎日新聞は解説している。

 アメリカは北朝鮮の巧妙悪質なトラップに引っかかったのではないか。
 米朝主脳会談が始まる前は「無条件で核放棄」を目指していたのではなかったか。無条件で核を放棄した後、経済制裁解除、経済援助をしてあげましょう。さらに「体制保証を」との要求に対し、了解したものと私は理解していました。現在の進展状況では、まるで「1つの核実験施設を破壊したら、それに見合う経済協力をしてくれ」と要求していることになる。

 北朝鮮は北東部の豊渓里(プンゲリ)にある核実験場の坑道を爆破して、入口を塞いだというが、この実験場は老朽化して使い物にならなくなっていたというではないですか。しかも記者を呼んで遠くから眺めさせるだけ。そんな爆破作業を1回行えば、それに見合う援助を求めるというのか。CVIDを認めようとしない北朝鮮と、果たしてこの後、協議を続ける価値があるのだろうか。まずその点をはっきりさせて協議に臨むべきでしょう。


ハプニング続きの草津温泉旅行、偶然から八ッ場ダムの建設現場も見学

 10、11日の2泊で草津温泉へ行ってきました。妻が妹夫婦を誘ったら喜んで参加するということで、1行は4人です。
 この温泉は群馬県草津町界隈にあります。日本三名泉の1つに数えられ、江戸時代後期以降何度も作られた温泉番付の格付けでは、当時最高位の東大関が定位置だったという。

 実は出発の前日、妻が7年前に患った脳出血の後遺症で倒れ、救急搬送されたのです。今回でたしか4回目です。救急隊の方から連絡がありました。一瞬、「草津に行けないかな」と思いましたが、慌ててもしょうがないと、旅行代理店や同行の義妹夫婦に連絡はしなかった。
 受け入れる病院が決まらず、救急車の中で時間を過ごすうちに、妻はだんだん話せるようになり、前回搬送されたM総合病院へは行きたくないと言ったそうです。その病院では搬送されたらすぐ入院。あとは従来の薬を飲むだけで1週間退院できなかった。最終的に救急隊が受け入れてくれる病院を2件示すと、妻は脳外科がないもう一方の救急病院を躊躇なく選んだらしい。
 よかったか悪かったかわかりませんが、撮影したCTを診た総合内科医は、「以前の出血の痕はあるが、新しい出血はないようだから気を付けて行ったらいいでしょう」と旅行にも理解を示した。

 ところで草津温泉の湯量は極めて豊富で、湯温も摂氏50~90度前後と高いためラジエーターを使い高い湯温を下げて配湯しているらしい。
 昔は草津節などを唄いながら木の板(湯もみ板)で温泉をかき回し、湯温を下げる「湯もみ」が行われていた。現在も観光客向けに実演する施設があるほか、2ヵ所の共同湯では湯治の一環として行われているという。
 これは熱い湯を宿の風呂に入れるとき、水で薄めて温度を下げると温泉の効能が落ちるため、かき混ぜて温度を下げるというなかなか合理的な方法です。

 「近くて遠い」のがわが家と草津温泉のつながり(?)です。前回行ったのは20余年前です。このとき宿泊したのはホテルS。この後もう行けないかもわからないから、しっかりいい宿を体験したい、というのが妻の言い分でした。
 妻は「以前から知人に聞かされていたO旅館にぜひ」ということでそこに決めました。サイトで調べてもいい旅館に思えたのですが、部屋も食事も評判倒れというか、そもそもその評判は何だったんだろう、と。ただ従業員の接客態度はなかなかよかった。

 湯もみの実演ショーも見に行きました。妻と義妹は必ず「行きたい」というと思っていましたが、予想通り。ショーの途中で「湯もみ体験」があり、案の定、2人はそれにも勇んで参加しました。
 草津温泉には西(さい)の河原露天風呂があります。総面積男女あわせて500㎡を誇る日本有数の大露天風呂。「夏には新緑、秋には紅葉、冬には雪見風呂と四季折々の自然を360°感じながら、湯に抱かれる最高の空間」という謳い文句もあるのですが、女性が楽しみを取りこむ貪欲さには驚きます!

 梅雨時とはいえ、前の2日間は霧雨や小降りの雨がつづきました。お天気人間の私ら夫婦は病気つづき、義妹の猛烈な雨人間ぶりにやられた感じです。
 帰途、義妹夫婦とゆっくり昼食をと思って列車の時刻を決めていたが、2人が早めに帰らなければならなくなりました。長野原草津口という寂しいJRの駅で、時間をつぶすのに困った。

 駅にいたタクシーのドライバーに聞くと、「この近くだと建設中の八ッ場(やんば)ダムぐらいしかない。展望台もありますよ。7000円ぐらいで行けます」ということでさっそく行ってもらった。
 ところが妻が展望台で、土中から頭を出していた石に躓いて、顔から小石交じりの地面に激突。1m60cmの高さにある顔が勢いをつけて地面に叩きつけられたのです。「また病院だ」と一瞬覚悟した。しかし、少し出血はしたが、思ったほどひどくはなかったので、一安心もふた安心もしました。

 事件はこれだけではないのです。帰りに大宮で下車して、ある店で知人らに贈る品の発送手続きを済ませた。お金を払おうとして、妻は手に持っていたポシェットがないのに気が付いた。聞くと3万数千円の現金と健康保険証、診察券が入っていたという。列車の席に置き忘れたらしい。列車は上野行でした。
 緑の窓口で聞いた忘れ物センターへ電話しました。特急草津2号でグリーン席でしたから座った車両番号・席番号も分かっています。列車が到着して清掃が終わり、忘れ物が届いたところだと言い、調べてくれた。

 ありました。しかし健康保険証はないという。妻に話すと、
「あっ! 失くするといけないから、こっちのバッグに入れたんだ。保険証が入っていないなら取りに行くの、どうしよう」
 私は多少呆れました。
 「1万円ぐらいならいいけど、3万円以上入っているのに放置できないだろう。保険証だけがそんなに大事なのではない。保険証は紛失したら、再発行してもらえばいいんだ」
 妻も私の言葉に納得して、それから上野駅の駅事務室まで受け取りに行きました。

 こう書くと、なんかさんざんな旅行だったように思えるでしょうが、それなりにけっこう楽しい旅でした。駄文に長々お付き合いいただき、ありがとうございました。

H30 6 10 草津1

H30 6 10草津2

H30 6 10草津5
湯の町草津の心臓部ともいえる湯畑

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「湯もみガール(?)ズ」の湯もみショー、下は一般人の
「湯もみ体験」

H30 6 10草津3

H30 6 10草津5
民主党政権時に、完成間近で中止された八ッ場
ダム建設。今また工事が続けられている

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銀座の画廊で「城東支部展」を鑑賞、恒例の飲み会は「銀座ライオン」で

 15日の月曜日、「第26回都展 城東支部展」に出かけました。毎年、11月の「都展」(上野、都美術館)に声をかけてもらうSHさんから、「1月に銀座で開かれる支部展にも出展するのでぜひ」と誘われていました。妻の休みが月曜日なのでこの日になったものです。

 会場は銀座6丁目の「銀座幸伸ギャラリー」。交詢ビルの真向かい、と言えばお分かりになるかと思います。交詢ビルは昔、福沢諭吉翁が提唱し結成された日本最初の実業家社交クラブ「交詢社」の建物で、昭和の初めに立てられた歴史的建造物でしたが、現在のビルは2014年に建て替えられたそうです。
 交詢ビルの正面の道路は「交詢社通り」と名付けられ、誰に聞いても分かる絶好のロケーションです。

 自宅の最寄り駅・ふじみ野駅から有楽町駅までおよそ1時間。そこからは約7分ですが、多少迷いながら到着できました。私が銀座に足を運んだのは実に30年ぶりぐらいでしょうか。中央通りも高いビルが林立しているのに驚きました。
 有楽町にも、8年ぐらい前に行ったのが最後でした。妻が東京国際フォーラムで学会発表をしたときです。しかし会場は駅から1分の至近距離ですから、行って帰っただけでした。

 SHさんの作品は2点。動物を描いたもので、右は「まなざし」と題した小品。左はクマの頭部を描いたものです。毎年の都展の作品もいいのですが、城東支部展の出品作品はなかなか良かった。SHさんに、「一皮むけた感じですよ」というと笑っていた。
 支部展の代表I会長の作品も素晴らしかった。この会長は都展でも立派な作品を出展している方です。

 ところでこのギャラリーから1分ほどのところに、「ビヤホール 銀座ライオン」の本店があるのです。4時過ぎからSHさんと3人で恒例(?)の飲み会。時間も早いので、少し控えめに夫婦でハーフ&ハーフの大ジョッキ2杯ずつ。SHさんは6時から人に会うということで1パイント、かなりセーブしていました。
 SHさんと別れた後、スイーツ好きの私らとしては「ぜひ」と言うことで、「銀座 鹿乃子 本店 」に足を運び、「かのこ」と「きんつば」を購入。鹿乃子では銀座のきんつばだから、洒落て「銀つば」と呼んでいるようです。

 甘すぎず上品な味わいが人気の、知る人ぞ知る銀座みやげだといいます。鹿の子はほぼ満足のいく美味さでしたが、銀つばは甘味が少なすぎる。下品でもいいから、うんと甘いのが私は好きですね。
 そんな話は別にして、30年ぶりの銀座。最近の雰囲気を少しは味わえたように思いました。ではまた!


銀座1
都展城東支部展に出展したSHさんの作品

銀座2
I会長の作品、素晴らしかった

銀座3

銀座4

銀座5

銀座7
「銀座ライオン」本店で飲み会、古くてなかなか趣のある建物です。私は
ハーフ&ハーフを頂きました

銀座6

銀座9

銀座8
30年ぶりに訪れた銀座4丁目交差点。左前方が旧服部時計店(現在
の和光)、右前方が三越銀座店

新年のご挨拶

 明けましておめでとうございます。
 今年もどうぞよろしくお願いします。
 元旦            村岡長治
プロフィール

村 岡 長 治

Author:村 岡 長 治
出自:兵庫県姫路市
現在:埼玉県富士見市
仕事:特定社会保険労務士、行政書士

筑波大学付属駒場高等学校卒業後、早稲田大学理工学部に学ぶが、家業を継ぐため学業途上で帰郷。
現在、川越・ふじみ野・富士見方面で、社会保険労務士・行政書士業をやっています。

「村岡労務行政事務所」のホームページもご覧ください。

両士業の支部内で、勉強会などを持てるといいと思っています。信頼できる同志との連携を深めたい。

お客様とは互いに信頼でき、長続きする関係を築いて行きたい。

趣味は酒、旅行、絵画・音楽・書の鑑賞など。子供たちも独立して、いまは夫婦2人です。

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