縄文水は硬度10の超軟水、屋久島山中でスマホの時計が一時間遅れた

 屋久島の話をここまで引き延ばして書くつもりはなかったのですが、屋久杉も、これから書こうとしている縄文水も、私にとっては感動的なことでしたのでぜひお伝えしたいと考えました。そのあとはアンビリーバブルな体験です。興味がない方はどうぞスルーしてください。

 水には硬水と軟水があることはよくご存じだと思います。水道水をはじめ、日本はどこへ行っても飲み水はほぼ軟水です。
 水の硬度というのはマグネシウムとカルシウムが1リットル当たり何㎎含まれているかを表す指標です。

 WHO(世界保健機関)の基準では、硬度60未満の水を軟水、60㎎~120㎎未満の水を中程度の硬水、120㎎~180㎎未満を硬水、180㎎以上を非常な硬水といいます。
 ただし日本での一般的な定義は100㎎未満を軟水、100㎎以上を硬水というそうです。
 私が住んでいる埼玉県は水道水の硬度が75です。東京都65、鹿児島県48、最も硬度が高いのは沖縄県の84です。日本では、硬水に巡り合うことは余程意識していないとあり得ないのではないでしょうか。

 軟水は、
・口当たりが柔らかく、さっぱりしていている
・緑茶を入れる際に色や風味が出やすい
・旨み成分を引き出しやすく、煮炊きの多い日本料理に適している
・石けんや洗剤が泡立ちやすい

 硬水は、
・のどごしが硬い反面、しっかりした飲みごたえを感じる
・緑茶を入れる際に色や風味が出にくい
・肉を煮るときなどにアクが出やすいが、和風料理には適さない
・石けんや洗剤が泡立ちにくい

 言葉にすると分かりにくいと思いますが、日本人には軟水が合うといわれています。硬度の高い硬水を飲んでみると、「水が硬い」という実感を得ることができます。10年も前になるでしょうか、中欧を旅行した時です。レストランで出された水を、妻に「味わって飲んでごらん。硬さが分かるから」というと、飲んで納得、驚いていました。

 例えば「アルピナ ピュアウオーター研究所」のサイトには、こんな文章もあります。
 「日本の天然水の硬度は高くても100程度となっているのに対して、海外の天然水は300程度が基準となっており、なかには1500にも及ぶものがあります。その分多くのミネラルを摂取していることになりますので、どうしても身体に影響を及ぼしてしまうのです」

 前置きが長くなり過ぎました。
 実は屋久島のホテルで食事のときに出された水がものすごく柔らかく、飲んで口の中で自然に溶けて吸収される感じなのです。こういう水は飲んだ経験がない。従業員に聞くと、屋久島の山からの水で硬度が10。「縄文水」というそうです。

 さっそくこの水で、屋久島の三岳(みたけ)焼酎のお湯割りを作ってもらった。三岳焼酎はホテルのメニューにはなかったのですが、要望で作ってくれたのです。マイルドで実にうまい。スーッと喉を通り過ぎるのです。妻は感激して、縄文水1ケースを宅配便で川越の仕事場に送っていました。知り合いに「ぜひこの美味しさを体験してほしい」というのです。
 今回図らずも飲料水の珍しい体験ができましたので、ぜひお伝えしたいと思って書きました。


 それからもうひとつ。信じられないことがあったのです。証人は妻と私、そして屋久島交通タクシーの I さんというドライバーです。
 屋久島のホテルに到着したのは夕方。翌日はタクシーを頼み、島の主だったところをめぐりました。翌々日はガイド付きの観光バスを予定していたので、それを省いたコースを回ってもらったのです。

 いろいろ興味深いところも多く、それなりに満足でした。
 半日(4時間)の予定で、朝9時にホテルを出発した。しばらく経った時、私はふと「まだ2時間は経っていないだろうな」と思い、時刻を確認しました。iPhone7Plusを時計の代わりに使っています。
 ところが私のスマホの時刻は9時40分を少し過ぎているのです。
 自分の感覚とは1時間ほどずれている。私は「頭がおかしくなってしまったのではないか」ととっさに考えました。隣の妻に「スマホを見せて」といって確認すると、私のスマホと同じ時刻なのです。

 「1時間も時間の感覚が違ったのか、しかしそれは信じられない」と、何分かの間、私はさらに考え込んでしまいました。「1時間半以上経ったと思っていたのに、まだ40分しか経っていない?」。私は、頭脳の感覚がおかしくなったのではないか、と自信を失いかけた。
 そのとき、ふと運転席の右横をシート越しに見ると、デジタル時計が設置してあった。それは私らのスマホのちょうど1時間後を指しているのです。スマホが9時51分、運転席のデジタル時計が10時51分でした。

 「スマホの時刻がちょうど1時間遅れている。出発のときは合っていた。どうしたのだろう」
 妻は「(富士の)青木ヶ原樹海と同じじゃないの」と言います。青木ヶ原樹海では方位磁針が使えない、車の計器や放送機器に異常が発生する、などと言われています。俗説かどうか知りませんが、そのことを指しているのです。
 ドライバーが自分のスマホを示しました。私らのとは違う器種ですが、正確に10時51分を示していた。しかし1時間ジャストの遅れというのも不思議ですね。ドライバーに勧められて電源をいったん切って入れ直してみたが、まったく効果がなかった。

 「帰宅したら、iPhoneショップでセットし直してもらわなければ」。ところが山から下りてきた時点で、私と妻のスマホの時刻が正常に戻ったのです。ドライバーの I さんは、「ホテルに帰ると直るだろうとは思っていました」と言った。しかし私にとっては訳が分からない。それも夫婦のスマホともちょうど1時間遅れる、これはどういうことでしょう。

 まことに長々と書きまして、申し訳ありません。私の70余年の経験になかったことですので、ついついお伝えしたくなりました。

縄文水

特別天然記念物・屋久杉での彫り物や土産物の制作は許されるのか?

 今日は屋久杉(やくすぎ)について、いささか書いてみたいと思います。
 屋久島で育った杉はすべて屋久杉か。それでは屋久島に杉を植林したら、それは屋久杉といえるのか。また、屋久杉は特別天然記念物に指定されている。彫り物や土産物など販売されているが、その制作は許されるのか。屋久杉で製作された仏壇なども販売されているではないか。私の疑問を地元のガイドに聞きました。

 屋久杉は、屋久島の標高600メートル(ウィキペディアには500メートル以上とあるが…)から1700メートルの山地に自生する杉で、樹齢1000年以上のものを指すそうです。樹齢1000年未満のものを小杉(こすぎ)と呼び、屋久島で比較的低地に植林された杉を地杉(じすぎ)という。地杉は樹齢100年以内の小杉を指す語として用いられることもあるらしい。
 一般に、杉の樹齢は長くても500年程度といわれるそうですが、屋久杉は桁外れに長い。例えば縄文杉は7200年、大王杉や紀元杉は3000年といわれます。島自体が花崗岩でできているため、花崗岩の上に生える屋久杉は成長が遅く木目が詰まっている。また島は降雨が多く湿度が高いため、樹脂分が多く腐りにくい特徴を持つという。

 岡崎製材株式会社(愛知県)が実際に屋久杉の年輪を計った結果が同社のサイトにありました。ある屋久杉の切り口を計ると1センチの幅に20の年輪があった。すなわち1年で0.5ミリしか成長していない。木の太さは直径ですから、1年の成長は1ミリですね。
 別の複雑な木目(杢)がでている屋久杉の断面を計ると、11センチ幅の中に44本の年輪があった。これは1年間に0.25ミリしか成長しないということです。

 さらに木の成長については、陽の当たりにくい樹林の中と、陽当たりの良い場所では大きな差が出ます。同じ木でも、1000年もの長い間には周りの樹木が台風で倒れたり、人に伐採されたりして条件が変わると陽当りも変化する。それが年輪に反映され、内地杉のように粗いところと細かいところが交互に現われることもあるというのです。

 屋久杉は特別天然記念物に指定されています。屋久杉の彫り物や土産物などが出回るのはどうしてなのか、というのが私の疑問でした。この加工に使われている屋久杉は土埋木(どまいぼく)と呼ばれるものだそうです。
 昔、伐採したものの、製材に適さないとして放置された樹木。伐採の跡の切り株や台風などによる倒木。これらを土埋木(どまいぼく)といって、入札が行われているそうです。一本の土埋木で高級外車数台分の値が付くこともあると聞きました。これで長年(?)の疑問は解消しました。


屋久島の杉、栄養の少ない花崗岩の上に生えるため、成長が遅い
屋久島の杉は栄養の少ない花崗岩の上に生えるため、成長が
遅い。(写真はウィキペディアより)

倒木6

倒木5
昔、伐採したものの、製材に適さないとして放置された土埋木
(どまいぼく)。これが彫り物や土産物の材料になっています。
屋久杉ランドで撮影

種子島宇宙センターと鉄砲館を見学、海蝕洞窟・千座の岩屋もみごと

 屋久島の西之表港から鹿児島本島南埠頭まで1時間55分、連絡船はジェットフォイルなので、昔と比べるとかなり時間が短縮されています。
 日本は海洋王国ですから、本島と離島、離島どうしを結ぶジェットフォイルはなくてはならない存在です。28年ほど前、川崎重工が米ボーイング社の製造・販売権を得て現在まで15隻を製造。ボーイング社の5隻と合わせて20隻が日本で活躍しているそうです。

 航空機のジェットエンジンは、吸い込んだ空気をコンプレッサで圧縮し、燃料と混合して燃焼させた高温高圧ガスを噴射することで推進力としています。
 これに対してジェットフォイルは、海水をジェット流として高圧噴射し、その推進力で水中翼を持つ船体を海上に浮き上がらせ、速度45ノット(時速約83km)で航走させるのです。
 初期のジェットフォイルは、そろそろ船体に耐用年数が訪れようとしています。ところが川崎重工には、今のところ建造を続ける予定はなさそうなのです。5隻程度のロット需要が見込めなければ建造体制を組めないと言っているらしい。ジェットフォイルは連絡船としてだけではなく、災害時にも活躍します。極めて残念と言わねばなりません。

 それはさておいて、宿泊の種子島いわさきホテルはド派手な真っピンクの外装。センスがいいとは言いがたいのですが、どうして、客室も広く全室オーシャンビュー。レストランも窓際が全面ガラスで景観は言うことなし。落ち着いた雰囲気のいいシックなホテルです。
 つい先日まで盆休みでもありたいへん混雑していたらしいが、この日はレストランで顔を合わせたのは私ら2人以外に名古屋からの1組だけ。借り切ったような感覚でした。

 いわさきグループは鹿児島県を中心に、ホテル事業だけではなくバス事業、フェリー事業、高速船運航事業、ゴルフリゾートから白露酒造の酒類製造・販売。その他数限りない事業を手掛けています。
 このグループのホテルは今回の屋久島と種子島しか利用したことはありませんが、従業員の教育もたいへん行き届いている。この日の疲れは生ビールと白露焼酎で癒しました。

 翌日はいよいよ最終日。朝から残暑厳しい晴天でした。
 初めに向かったのが門倉(かどくら)岬。ここから南の喜界島に直線ラインを引くと、岬から海に向かって右手側(西側)が東シナ海、左手側(東側)が太平洋。ここで2つの海に分かれているのです。
 また鉄砲伝来の地でもあります。難破した南蛮船にいたポルトガル人による、鉄炮の実演を見た種子島の島主・種子島時堯が、そのうち2挺を購入し刀鍛冶の八板金兵衛らに命じて研究させた。これが我が国の鉄砲の始まりです。いろんなエピソードが残っていますが、骨子はこんなところでしょう。

 次いで案内されたのは種子島宇宙センター。総面積約970万平方メートルにおよぶ日本最大のロケット発射場です。地球の自転を利用したロケット打ち上げは赤道に近いほど有利らしいが、種子島は日本の最南端ではありません。
 同島より南の小笠原は、センター建設の前年に返還になったばかり。沖縄返還はまだ実現しておらず、日本の主権が及ぶ最南端に近い種子島ということで選ばれたものです。
 世界的には広大な原野に発射台等の施設を建設することが多いのですが、種子島宇宙センターは緑の山の中にあり、発射台はサンゴ礁に囲まれた岬の突端近くに設置されており、その絶景から「世界一美しいロケット基地」と呼ばれているのです。

 このあと「千座(ちくら)の岩屋」に行きました。
 種子島の東海岸は、太平洋の荒波に洗われてできた海蝕岩が見られます。なかでも、波に浸食された奇岩の広がる浜田海浜一帯にある岩屋は種子島最大の海蝕洞窟で、中には千人が座れるともいうことからこの名がつけられたということです。
 洞窟に入ることができるのは干潮時のみで、その前後2時間です。自然が作り上げた美しさは幻想的な雰囲気も漂い、沖合にちらばる岩礁と相まって景観を誇っています。

 鉄砲館もよかったですね。種子島の歴史、民俗、自然を実物資料やジオラマ、写真などで紹介しています。種子島は鉄砲の伝来地であると同時に国内で初めて火縄銃を製作した地です。ポルトガルの初伝来銃をはじめ、国産第1号銃や国内外の古式銃約100点を展示してあります。
 館の管理、運営は西之表市教育委員会社会教育課文化係が行っているということですが、なかなか見ごたえのある展示館でした。

 この日、午後3時発のジェットフォイルで鹿児島本港に渡り、鹿児島空港から羽田まで。あっという間に終わった小旅行でしたが、屋久島も種子島も、来てよかったというのが実感でした。

種子島1
ド派手なピンクの外装、しかし内部はなかなかシック
で落ち着いている。種子島いわさきホテル

種子島1-1
レストランからの景観もなかなかのものです

種子島1-2
夜はプールをライトアップ

種子島2
種子島の最南端・門倉岬に建つ「鉄砲
伝来紀功碑」

種子島3
この門倉岬から右手(西)方向は東シナ海、左手(東)方向は太平洋

種子島4
種子島宇宙センター

種子島5

種子島6

種子島7
宇宙ロケットのエンジンが展示されている

種子島10

種子島15

種子島14
千座(ちくら)の岩屋です。干潮時の前後2時間しか中へ入
れない

種子島16
鉄砲館(上)と展示の鉄砲
種子島12

種子島17

種子島11
恥ずかしながら少年時代にタイム
スリップした小生の写真も1枚

眼前にした巨大な紀元杉、雨も私らの行く手を避けたようだ

 3日から7日まで、屋久島と種子島へ行ってきました。東京で1泊、屋久島2泊、種子島1泊で妻同行の小旅行です。羽田発のフライトが早朝(といっても8時05分発ですが)だったので、空港近くのホテルで前泊。朝はホテルのバスが空港まで送ってくれるので助かりました。屋久島は妻が昔から行きたかった所らしい。私はむしろ種子島に興味があったのです。

 屋久島には、ひと月に35日雨が降る、という言葉があるそうです。「うまい表現だ。誰が言ったのだろう」と考えていました。これは林芙美子が「浮雲」のなかに書いた言葉らしい。屋久島では、彼女が執筆のために宿泊した旅館がまだ営業しています。島の人たちからも、雨ばかりだと聞きました。年間降雨量は全国一だとか。
 そんな雨の多い島ですが、天候に関してはそれほど気にしていなかった。私らは俗にいう晴れ男、晴れ女なのです。国内外を合わせると、旅はこれまで百回を超えて行っていると思いますが、雨に降られた経験がないのです。

 今回、屋久島の港へ迎えに来たガイドがホテルへの車中、「このところ珍しく何日も晴天が続きましたが、今夜から荒れるそうです」と言っていました。
 私らが宿泊したのは、屋久島いわさきホテル。和室を予約したのですが、広々とした明るい快適な居住空間です。妻は「『旅サラダ』だったか定かではないが、この部屋、テレビの旅番組で見て一度来たいと思っていた」とゴマンエツでした。

 ところで案の定というか、夕方から豪雨。屋久島の雨は激しいときは、ラッキョウほどの雨つぶになる、と言ったガイドの言葉を思い出しました。夜半からは雷鳴が加わり、そのやかましいこと。翌日は島内観光のため、タクシーを予約していました。3日目はバスで島巡りをしますので、それ以外の場所を回ってもらう予定でした。
 2日目、朝食は7時から。雨は一向に降りやます、タクシーの窓からでも、おそらく何も見えないような状態です。9時の予約でしたが、キャンセルも考えていました。ところが8時に雨が上がったのです。やって来たタクシードライバーの話では、朝、出勤するときいつもの道が通行止めで、大きく迂回してたどり着いたと。後で知ったのですが、この短時間雨量は屋久島でも50年ぶりなのだそうです。

 場所によるらしいのですが、この日、タクシーで動いていると猿と鹿が至るところで見られた。猿は道路に出て相手猿の毛づくろいをしている。そんな姿が、道路にあちこちで見られるのです。
 このときすでに日が射し始めていました。屋久猿は毛が長いので、雨の後は毛を乾かすために樹林の中から日当たりのいいところへ出てくるという。鹿も道路わきに出てきます。屋久猿も屋久鹿も体がとても小さい。
 屋久島を表す言葉に「人2万、猿2万、鹿2万」というのがあるそうです。いちばん多かった頃は人が2万人程度いたらしいのですが現在は1万3000人ほど。猿は4,000~6,000頭、鹿は3,000~6,000頭だといいます。

 屋久島はなんといっても「屋久杉」が有名です。その頂点が、7200年間生き続けてきた「縄文杉」です。これを見に行くツアーがあるのですが、早朝から雨ガッパをはじめ必要装具をリュックに入れ、トレッキングシューズで足もとを固めて出発です。山道をおよそ12時間の超強行軍だそうです。

 3日目、私たちはバスで島内観光。この日のメインは屋久杉ランドの散策(約40分)と、紀元杉を見ることです。これはすぐそばまで観光バスで行くことができます。紀元杉は縄文杉に次ぐ巨大さで、およそ3000年経っているといわれています。宿泊したホテルのロビーに設えられたオブジェはこの紀元杉がモデルだそうで、7千数百万円をかけたという話でした。

 そのあと16時発の高速船(ジェットフォイル)で種子島へ。種子島いわさきホテルには18時過ぎに到着しました。
 次回は種子島についてご報告します。2、3日お待ちください。

屋久島11
部屋からホテルの広大な庭が見える。散策するのに1~1.5時間かかる
と言われた

屋久島12
ホテル・ロビーに紀元杉をモデルにした巨大オブジェを
展示

屋久島20
屋久島18
屋久島19
刻々と変わる天候に合わせ、その表情を変
える自然。部屋から尾之間三岳(おのあい
だみたけ)を望む。中央の高い部分がモッ
チョム岳。写真にはないが、左に耳岳、割
石岳と続く

屋久島14

屋久島17

屋久島13

屋久島23
滝が直接海へ落ちるのは世界でも珍しい。日本ではここ
屋久島と、知床にある滝だけ

屋久島21
千尋(せんぴろ)の滝、大川の滝とともに
屋久島の景観を彩る

屋久島16
豪快な水しぶきを上げる落差88メートルの大川(おお
こ)の滝、日本の滝百選にも選ばれている

屋久島15
三千年を生き抜いた紀元杉。撮影ポイントが狭いので、見上げ
るかたちになり全体を撮影しにくい

相次ぐ北朝鮮の暴挙! なぜ「平和憲法」の欺瞞に気づかないのか

 北朝鮮は29日早朝、同国西岸から弾道ミサイル1発を発射した。ミサイルは北海道・襟裳岬の上空を通過して岬の東約1180キロの太平洋上へ落下した。北朝鮮のミサイルが日本上空を通過したのは5回目。事前通告がなかったのは19年ぶりで、極めて異例だという。

 これまで北朝鮮は、「ソウルを火の海にする」と威嚇し、アメリカを口汚く罵倒していたが、今回、日本をやり玉に挙げた口撃がこれまでと違ってきた。あるいはアメリカに対して同盟国の日本と韓国を人質に取ったつもりなのだろうか。
 さっそく国連安全保障理事会が緊急招集されました。が、北朝鮮の原爆実験やミサイル発射などを、強制力をもってやめさせられない安保理に一体何の価値があるのでしょうか。

 時が時だけに、日本国民も目を覚ましていただきたい。
 日本人でありながら、自分の国を守ることを放棄した憲法を「平和憲法」と称し、ノーベル平和賞に推薦するという団体までありましたね。今回の北朝鮮の暴挙を知った以上、冷静になってそのズレた感覚を修正なさってはいかがでしょう。

 「日本国民は、(略)平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」(前文から)
 「2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」(9条2項)
 どうですか。戦力と交戦権の否定を世界に宣言し、わが日本の安寧は「あなた任せです」といっているのが現憲法です。北朝鮮は原爆やミサイルの実験を繰り返しているのに、日本は自国の防衛も考えず、「どうぞご自由に」とやらせるのが「平和」なのですか。

 ところで文在寅・韓国大統領。就任以来、「北との対話路線」を強力に打ち出してきた。さらに米メディアの取材に慰安婦問題を蒸し返し、日本を批判する発言を繰り返している。一昨年、日韓両国が慰安婦問題の「最終的かつ不可逆的な解決」に合意した。ところが文在寅は、国家間の約束を自分の人気取りのために反古にしようとしているのです。
 そればかりではない。朴正煕大統領のときの日韓基本条約で、とっくに解決済みの徴用工問題まで「個人の請求権は未だ消滅していない」と言い出している。

 こんなことを企てながら、安倍晋三首相や日韓議員連盟の額賀福四郎会長らに対しては、「未来志向の日韓関係の構築」に言及し、合意しているというからまことに開いた口が塞がらないというものです。
 文の“やり口”は、テーブルに向かい合って腰かけて、上では手で握手をしながら、下では相手の脚を蹴っているのですよ。

 徴用工問題など、64年の日韓請求権協定で解決済みとの立場で、両国とも一致していた。毎回毎回、合意事項を蒸し返してスタートの戻ろうとする韓国。なまじ同意するようなそぶりをするから、付け込まれるのです。
 一度決めたことを再度蒸し返すことは絶対させない。この強い意志を示してもらいたい。合意事項を守らない国と話し合う意味がないではありませんか。皆さんはどうお考えですか?
 しかもこのままでは、いずれ財政問題で日本に頼ろうとするのでしょう。
プロフィール

村 岡 長 治

Author:村 岡 長 治
出自:兵庫県姫路市
現在:埼玉県富士見市
仕事:特定社会保険労務士、行政書士

筑波大学付属駒場高等学校卒業後、早稲田大学理工学部に学ぶが、家業を継ぐため学業途上で帰郷。
現在、川越・ふじみ野・富士見方面で、社会保険労務士・行政書士業をやっています。

「村岡労務行政事務所」のホームページもご覧ください。

両士業の支部内で、勉強会などを持てるといいと思っています。信頼できる同志との連携を深めたい。

お客様とは互いに信頼でき、長続きする関係を築いて行きたい。

趣味は酒、旅行、絵画・音楽・書の鑑賞など。子供たちも独立して、いまは夫婦2人です。

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